社会
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人間が、人間らしく生きる環境
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人間が、人間らしく生きる環境
2022.11.11
当時、実業之日本社が西式健康法を実際に実践していた名士の方々を取材したレビューの中から一部を抜粋してご紹介いたします。
目次
日本の建築家。建築研究者、工業教育者。 建築材料学の権威で、建築材料協会会長、日本建築学会会長などを歴任した。各地の都市計画にも携わる。兵庫県美方郡出身。 建築材料学のほか建築設備学の草創期において、その研究は学界や業界標となる。終始、早稲田大学・同高校での教職と運営にあたる。
わたしが西君と始めて相知ったのは比較的新しいことで、それは氏の目下唱導しておられる健康法に関してではなく、氏の本職であるところの工学的方面の問題、特に地下の問題について相語り、しかも独創的な、実に面白いセオリーをもっていて、それが理学的に見ても工学的に見ても、すこぶる価値のあるものであることを知り、その造詣の深さにひそかに敬意をはらっていたのである。
その西君が、古今東西のあらゆる健康法を研究し、しかも生理学、病理学、生物学、人類学、心理学、考古学等に関した書物を広く読破して、独特の健康法を案出し、それを唱導している人であることを知って、いよいよ鷲いたのである。
氏は各国の語学に通じ、また漢学や仏教の書物をも渉漁し、その博覧強記には、ひとたび氏に接したものは誰でも驚歎せざるを得ない。
かくのごとく氏は、非凡な頭脳をもった人で、その語学しかも数力国の語学に通じている点からいっても、またいろんな方面の書物を博(ひろ)くかつ多く読んでいる点からいっても、しかも一定の公職をもち一日も欠勤せず、なんら職務に支障を起こすことなく、余暇をもっていろんな方面に奉仕し、常人の何倍かの仕事をしておられるのをみて、まことに羨望に堪えない次第である。
毎日の睡眠はわずかに二、三時間で足りるということだが、その偉大なる体力と精力が、氏のいわゆる西式健康法の賜物であるとすれば、わたしもその恩恵に浴したいと思って毎日熱心に実行しているわけである。
わたしは自ら強健なりと誇り得るほどではないが、体が弱いというほうでは決してない。
それで病気を予防するというよりも、むしろ積極的に西君のような、あの鷲くべき活動的な体力と精力とを養いたいものだと思っているのである。
こういう考えから、わたしは目下のところ氏のいわゆる触手療法よりも西式健康法のほうを熱心に研究もし、実行もしている次第である。
だから触手療法については、わたしは最初興味をもっていなかったのであるが、わたしの友人のうちで二、三試みる人があり、できる、できる、といっているので、このごろ多少注意するようになってきた。
先日知名の某氏の親戚にあたる一婦人が子宮に大きな潰瘍ができて、専門の博士たちは切開手術を施さなければどうしても治らないという。
しかし手術をするのは好まない、何とか方法はないものかという話で特に西君の治療を乞うことになった。
氏の第一回の治療にはわたしは友人某工学士と立合ったが、たった一回の触手療法で大きな潰瘍の塊が軟らかになり、二回目に西君が行ったときには、ほとんど散ってしまったという。
その後の経過も聞かないし、またそれがはたして全治するか否かは将来の問題であろうから、なんとも断定することができないが、とにかく不思議なことである。
西君の工夫した合掌法を四十分間やると、手掌のマイスネル小体の突起物から一種のヴイタルフォースが出ると西君はいっておられるが、わたしもその合掌法を一回やってみた。
あるとき試みにわたしの母の背中を、西君がするように片手で軽く触ってみると、ある一定の場所に限って、手掌にたしかに何物か電気のごとく感ずるものがある。
それでその場所が脊椎の何番目であるかを確めて、西君のパンフレットによって調べると、鼻に故障があることになっている。
しかし母は鼻が悪いなどと一度もいったことがない。
どうも怪しいとおもいながら、そのことを母にいうと、母は驚いて、実はわたしはこの間から鼻が悪くて困っているのだ、今朝も鼻血が出たという話であった。
しかしこれは偶然であったかもしれない。
かかる一、二の事例を以ってして、私自身が一回の合掌法によって、そんな不思議な力をもち得たと信ずるのは早計である。
といったからとてわたしは西君の触手療法を否定してしまおうという心は少しもない。
とかく普通の科学者は不可解というダークサイドの世界を、ことごとく不可能であると片づけてしまう癖があるが、それはあまりに偏見であって、人類がかつては夢想だもしなかったラジオや飛行機も、今日では科学的研究によって立派に完成されたことを考えれば、われわれの今日不可解としてしるところをもって、直ちに不可能なりと断じ去るわけにはゆかないのである。
氏はわたしに、あなたのできないというのは、できないのではなくて行なわないからである。
自分が熱心にやって真に自分でできることを知ったなら、誰にでもできるものであるということを信ずるようになるのであろうといっておられる。
ここが氏の偉いところであるとおもう。
世の神霊現象や霊能を説いて、それを職とし糧としているものは、ややもすればその能力を自分のみの特異性に属するものとし、自ら人をして神のごとく思わしめようとする傾きがあるが、これに反して西君はその触手療法に関して決して個人の特異性を認めず、誰でもできると断じているのは西君の学究的であることを示すものであろう。
しかしわたしの考えでは、この触手療法は西君のように生理学や解剖学や病理学に精通した人にして始めてこれをなすべき資格があるので、半可通のものが他人に対して、かかる療法を施すのはどうかとおもう。
さらにわたしのおそれるのは、西君の多年の苦心によって折角できあがった触手療法が世の営利の徒によって悪用さるるようなことになり、その正しい発展を阻害されることがありはしまいかということである。
とにかくわたしは、西式健康法については、その理論の上からも、実験の上からも、その効果の実に偉大なるものがあるのを知り、毎日自ら熱心に実行し、また他にも機会あるごとにこれを知人に勧めている次第である。
明治-昭和時代前期の官僚。明治6年10月13日生まれ。逓信省にはいり,京城郵便局長,通信局長などを歴任。退官後,日本石油専務などをつとめた。昭和6年7月10日死去。佐賀県出身。東京帝大卒。旧姓は副島。
世の多くの健康法
わたしは若いころ体が弱かったために、いまから二十年ばかり前から種々の健康法を試みた。
従来心身鍛錬法とか健康法とか称されているものがずいぶん多い。
昔白隠禅師などの唱えた「オラテ釜」を始めとして藤田霊斎氏の息心調和法、二木博士の腹式呼吸法、岡田式静坐法、大仁堂の正体術、石井少将の生気療法、血液循環療法、軸丸療法、枇杷の葉療法、江間式気合術、湿灸療法、自彊術、河合式健康法、その他各種の体操法、あるいはオステオパシイ、カイロプラクティック、あるいはフレッチャニズム、等、々、々、枚挙にいとまがないほどである。
このうちわたしの試みたものもかなりたくさんある。
これらの全身の運動、腹式呼吸、脊柱の矯正、指圧療法、精神療法等、その方法や主眼とするところはそれぞれ異るが、身体の健康を目的とすることは一つであって、それぞれ局部的には一面の真理を有し、またたしかに特殊の効果があることは事実であるが、同時にまたそれぞれ多少の欠点を有し、やり方を誤れば弊害をも招来することもあるは免れない。
なぜならばこれら諸種の健康法の創始者ないし主唱者中には、ややもすれば人体の生理学に精通せず、ただ思いつきで出来あがったかのようにおもわれるものもあり、しからずともある一方に偏したやり方もないでもないからである。
優秀なる西式健康法
しかるに、このたび新たに発表されたる西勝造氏の『西式健康法』は、氏の該博なる知識をもって、日本はもちろん、世界各国に行なわれている健康法を三百六十二種も実地研究して、その粋を抜き、その真を採ったというだけあって、そのひとつひとつの運動がことごとく合理的であり、その説明がいかにも科学的であって、われわれをして首肯させるに足るものである。
西式健康法の主眼となっている、生水を飲むこと、脊椎を矯正すること、腹部の運動をなすこと「必ず治る」という信念をもつこと、これらは必ずしも西氏の創案ではなく、すでに先人の唱導したものではあるけれども、各種健康法の長をとり、短を捨て、打って一丸とした点においては、たしかに従来の健康法よりはるかに優れているとおもう。
わたしはあえて従来の健康法を非難し排斥するものではない。
けれどもこれら諸種の健康法をやる場合、まず西式健康法を基礎とし、これを実行したうえで、他の健康法を合わせ用いた方がよくないかとおもう。
わたしは従来諸種の健康法を試みた結果、このごろ体が非常に丈夫になり、いまどきの若い人たちよりもかえって元気があり、病気欠勤などしたことがない。
また西式健康法を実行するに至ってから日なお浅いから、その実地体験に関する感想などは述べるべき多くの材料をもたないが、とにかく、わたしは西氏の該博なる知識とその科学的説明に敬服して毎日氏の健康法を実行し、すこぶる気持がいいようである。
この点から考えて、わたしはこの西式健康法を推奨し、なん人もこれを実行されんことを望むものである。
そしてさらに進んでこの西式健康法および氏が別に唱導しているところの西式触手療法の熱心なる研究者が続出して、その理論とその技術とを完成せられんことを切望するものである。
館香緑・すえ夫妻の四男として生まれた舘豊夫は、社長時代の1988年に三菱自動車工業を東証1部に上場させ「三菱自動車中興の祖」と呼ばれた。
わたしは、西君が二十一、二歳のころ、わたしの部下として九州にある三井の山野炭坑に働いていた時分から知っているので、ずいぶん長い知合いである。
同君はその時分から頭脳が図抜けていいうえに、非常な勉強家で、暇さえあれば本を読み、歩きながらでも書物をひろげているという風で、斬然として他の同僚を抜き、真に麒麟児たるの観があった。
好学の念に燃えている同君は、なんとかして自分の職業に関する基礎学を組織的に勉強したいというので、わたしはその熱心に感服して、会社に籍を止めながら、特に的場博士に依頼して明治専門学校(現国立九州工業大学)に入れて貰い、採鉱工学を研究させた。
卒業後わたしの所へもどるはずであったが、長崎にある三井の傍系会社である松島炭坑から是非西君をもらいたいと懇請してきたので、自分も非常に惜しいとはおもったが、その要求を入れて西君をやった。
そして同君は竪坑開緊(たてこうかいさく)に従事した。
それが立派に成功すると、某実業家から奨学資金の提供を受けて米国に渡りコロンビア大学に入って隧道工学の研究に兼ねて鉱山学を学んだ。
そしてその常人のとうてい及ばざる努力の結果、今日では地下鉄道の設計に関しては権威者(オーソリティ)になってしまった。
それ故わたしは、同君を西式健康法の創始者としてのみならず、今日青年の鑑としても推賞したいと思うのである。
同君は、自分の専門の学問のみならず、二十一、二歳の頃から骨相学やら卜筮(ぼくぜい)の道などをも盛んに研究していたものである。
同君が今日唱導している西式健康法と触手療法とは、震災前後に初めて知人に発表したものである。
その時分はわたしは同君から、まとまった話も聞かず、また自分が西君の小さいときからあまりに親しく接しているので、かえって最初は同君のいうことに耳を傾けなかったのである。
しかるに燈台下暗しといおうか、世間の方からあまりにやかましく西君をもてはやし、中には神のごとくいっている人もあるので、不思議におもって一晩わたしの処へきてもらって、同君の健康法と触手療法について述べてもらった。
ところが鷲いた、滔々として深遠なる学理を述べ去り述べ来たる、その説明がいかにも科学的で合理的で、なんびとも首肯せざるを得ない。
最初それほどに思っていなかったわたしも、とうとう兜を抜いでしまった。
全く感心してしまった。
それからは、わたしは西君の信者になってしまったのである。
わたしはいつぞや同君に、以前には事業に関しては君をおぶってきたが、健康方面のことについては、今後君におぶさらなければならなくなったといって笑ったことがある。
このごろでは、わたし自身も家族も西式健康法を熱心にやり、わたしの親戚も盛んに実行しておるし、茨城や福島におけるわたしの事業地の従業員にも実行を勧めておる。
そして機会あるごとに西君を方々へつれていって講演してもらっている次第である。
わたしは世間の人が、一般に是非この西式健康法を実行することを熱望してやまないのである。
西式健康法についてわたしが最初に感心したのは、ある冬の夜わたしが事業地へ出張することになったが、家を出るときからどうも寒けがしてしようがなく、汽車に乗るといっそうひどくなってきた。
車室のスチームが止めてあるのではないかと、寒暖計をみると、相当の湿度に昇っているのである。それにもかかわらず、ゾクゾクと体が寒い、これは風をひいたナと思ったので、他の乗客の前もかまわず西式健康法をやり脊骨を左右に振ってみた。
一回やったらようやくゾクゾクが治ったけれど、少したつとまたゾクついてきたから、またやったらたいへん具合がよいから、ついでにまたやってみて、都合三回続けてやったら、すっかり悪寒がとれてしまって、体がポカポカ暖かくなり、夜の十一時ごろに事業地に下車して早速生水を五合ほど飲んで車に乗った。
外界はかなり寒かったが、体はすこしも寒くなく、それで全く風邪が治ってしまった。
私はそのとき実際西式健康法というものは偉いものだとつくづく感心してしまい、今日では全く信仰的になってしまった。
触手療法についてはこういう事実がある。
始めて例の四十分の合掌法をやった後数日のことであるが、 家内が手の甲に何かがぶつかって青い大きな瘤をでかしたので、わたしは約三十分間ばかりおさえていると、すっかり脹(はれ)もひき、青みもとれてしまったので、自分の手の偉力を始めて感得し、爾来子供や家内が扁桃腺などを脹らしたときや、胃や腸の痛むときは、しばらく手を触れているとやはり治ってしまう。
前号において早大の吉田教授もいっておられるとおり、某名士の親戚にあたる一婦人の子宮の不治だといわれていた大きな潰瘍を、手術をしないで、たった二回の触手療法で散らしてしまって軟かくなったということなどは、全く奇蹟的である。
触手療法は相当修業をしなければ、四十分の合掌法さえやれば、だれにでも直ちに効力偉大であるというわけにはいかぬかもしれないが、西式健康法の方は朝晩たった十分間ずつの実行で足り、きわめて簡単で、老若男女ともにできる。
少しも面倒なことはない、出先でもできる。
しかも肉体の健康のみならず、これをやっておれば精神修養にもなる。
身体が健康になれば精神も健全になるのは、自明の理だが、特に西式健康法において眼目の一つとしているの末尾にある『良くなる良くなると思う』という原理を研究して体得したなら、精神修養上稗益するところ多大であると信ずる。
明治期の実業家、教育者。東京高等商業学校(現一橋大学)教頭兼幹事、大阪商業学校(現大阪市立大学)校長、三井家同族会主事・書記長、三井合名会社理事を歴任。財団法人三井慈善病院(現三井記念病院)では監事を務めた。別名、正忠。
西式健康法の創始者西勝造氏は、名利に淡く、温厚篤実、実に立派な人格者であって、しかも不思議な頭脳と非常な精力の持主である。
氏は主に独学の人で、英独仏の各国語に通じ、グリーク、ラテンをよくし、仏、教基督教、老荘の学をも研究し、体が弱かったせいか、青年時代から職務のかたわら生理学、解剖学等の基磯医学、その他心理学哲学を始め、世界のあらゆる健康法を渉漁し、驚歎すべき博覧強記の人である。
さきごろ、わたしの娘がインフルニンザの後からリューマチスが起こって悩んでいた。ところが一知人がわたしに電話をかけてきて、東京市の電気局の技師で西という人が不思議な治療をするから、ひとつ試みてはどうだという話で、わたしは半信半疑で来てもらうことにした。
電気局の技師というから恐らく電気治療機でももってくるのであろう、電気治療機ならうちにも二、三種もっているから、それよりも優秀なものをもってくるかどうか、とにかくこちらの治療機をそろえておいた方がよかろうといって、待っていると、機械などはひとつももってこず、片手でもって病気を発見し、また片手または双手だけで病気を治療する霊能力をもっているのにはすこぶる驚かされた。
その後成績すこぶるよく、このころでは大分軽快におもむいてきた。
わたしの長男(編者曰く貴族院書記官長成瀬達氏)が内幸町の官舎にいるが、わたしのところへ孫の保姆がきて、西氏から例の合掌法を教わり、このごろでは嫁や子供が頭痛がするとか腸が痛かったりすると、保姆に指でおさえてもらうと結構痛みがとまるという話である。
わたしは特別病気をもたないせいか、毎日朝晩十分間ずつ規則正しく西式健康法を実行するということは億劫なので、やったりやらなかったりしているが、とにかくやれば気持がいいようである。
野沢組の社長野沢源次郎氏なども夫妻ともに西氏の大の礼讚者であって、このごろではおかげで家内中医者に用がなくなったといっておられる。
貴社が三十余年間一貫して国民の保健に努力せられ、さきに岡田式静坐法を唱導して天下に普及せしめ、次いで自彊術を宣伝され、いままたさらにいっそう優秀なる西式健康法を提出してこれを満天下に紹介されんとする不断の努力に対して、わたしは満腔の敬意をはらうものである。
しかして本健康法が国民全般に普及され、病弱者は健康となり、健康者はいよいよ強健となり国民の一般健康程度が今よりズット向上したならば、今日の西氏は必ずや人類の大恩人、救世主として崇められる日がくるであろうと信ずる。
さっぱりした気持
私は元来いたって達者な方で、農商務省にいるころも、夏休みなど殆んどとったことがなく、取引所へ入ってからもう五年になるが、その五年間一日も欠勤したことがないくらいである。
しかしどうも腸があまり丈夫ではないらしく、ときどき下痢を起こすことがあったりして、その用心のため私は何年来、厚い毛糸の腹巻を放したことがない。
またときどき肩が凝ったり、神経痛が起こったりなどすることがあった。
それが、西式健康法を実行しはじめてからは、それらのことが全くなくなって、厚い腹巻も今年の夏は巻く必要がなく、実に軽々とサッパリした気持ちになった。
私が西式健康法をはじめて知ったのは、去年の九月の初めである。
私たちの仲間の集りで、幹事が斡旋して西さんを招いてその諧演をきいた。
そして私はすっかり感心させられた。
まず何といっても、西さんの博学多識には驚いた。
そしてその説くところが、東西古今の学説、実例を引いて、きいていると、だんだん惑心させられてしまうのであった。
なるほどもっともだと思ったことは直ちにこれに向って進むというのが私のモットウである。
況(ま)してその方法が簡単で時間がかからず、学問の根抵に立って合理的に科学的に説かれてあるのであるから、一度西さんの講演をきいた人は、おそらくこれを信じないわけにはいくまいと思われる。
私も直ちにこの信者になって、その日から毎日実行している。
すなわち朝と夜と十分間くらいずつ西式の体操をやることと、水を飲むこととを毎日実行している。
そのせいか腹の具合もよく、薬なども全く用いず、肩の疑りも忘れ、神経痛もたいしたこともなく即んでいることは、実にありがたいことだと思っている。
しごく簡単にできる
もともとは甚だしく悪いところのある体でもないし、また生に執着もあるではなし、いつ死んでもかまわぬだけの気持ちではいるが、しかし私は、天のわれを生ずる、あに偶然ならんや、必ず生れてきただけのわけがあるのであって、それだけの責任を果すには、何としても生きている間に、弱くて日々の仕事に欠勤がちなことでは駄目であり、また生きている間は健康に愉快に暮さねば損でもあると考えているので、健康には若いときから気をつけてきた。
そして撃剣もやり、山にも籠り、坐禅も組み、岡田式静坐法もやった。
しかしそれらが決して効果がないとはいわぬが、なんといっても時間もかかり、場所も要り、また相当に精神を緊張させねばならず、ことに忙しい仕事にたずさわる者にはとかく億劫になりがちであるが、西式健康法は全くこの点は他と異って簡単であるから、平素忙しい仕事に従事していて、しかもあまり運動の十分でない人々にとっては、この健康法は実に一番の方法だと信じ、自らも実行し、知人たちにも勧めている次第である。
実際あの血色のいい、活気の溢れた西さんの顔を見て、あの該博な学識を根抵として吐かれる説をきいたら、誰も信じて直ちに実行しようという心持ちを起こさずにはいられないと思う。
こういうことは、人からいくら強ひられても実行できるものでなく、自分自身になるほどと理解がついて、信じて行なうのでなければ永続するものではない。
私は上述の通り、健康の大切なことを痛感し常に学生たちにも健康法の実行を勧めているが、私はその故に、何がいいから実行せよとは決していわぬ。
ただ自分の経験を話して、西式はこう、岡田式はこうと比較はするが、それ以上は自ら研究していいと思ったものをやるがよいといっている。
大切な毎朝の日課
しかし自分では西式が一番いいと信じて、毎朝十分間ずつこれを実行した後、犬を連れて散歩に出ることは私の重要な日課の一つで、だから私は朝のうちは人が訪ねてきても会わぬことにしている。
もちろん夜就寝前にもやるが、酒など大いに飲んでおそく帰ったときにま、ごく軽い程度にとどめておくが、翌朝の心持ちは非常によい。
水は渇を覚ゆれば飲む。そして私はますます健康を増進しつつある。
明治期の検察官、弁護士、法学者。慶應義塾大学部法律科を卒業後時事新報社に勤める。翌年判検事試験に合格し、神戸区裁判所検事代理となるも1899年(明治32年)これを辞任し、再び時事新報社に入った。その後、慶應義塾の大学部教員養成のためドイツに派遣され、ベルリン大学などで学ぶ。1902年(明治35年)7月帰国後、大学部法律科で商法を講じた。1910年(明治43年)法学博士となる。1920年(大正9年)、雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を投稿し、不敬罪の廃止を唱えたため、新聞紙法違反で禁固4ヶ月の判決を受ける。その後は法政大学、中央大学に移り教鞭を取る。弁護士として長年務めた。
その造詣に驚く
西式健康法および触手療法については、わたし自身よりも、わたしの親戚や知人で非常に礼讚し信仰している者が多い。
わたしは先般交詢社において、創始者である西氏の講演を聞いて、その該博なる知識とその科学的説明─少なくとも、われわれの今日の常識をもって合理的とおもわれる説明を聞いて驚歎した一人である。
そしてその後特に拙宅に西氏を招待し、知人五十名ばかりを集めて、その独特の健康法および触手療法について説明と実演を乞うたのである。
一場の講演が終って別室で体の悪い人たちが西氏に例の触手療法を行なって貰ったが、着物の上から掌を軽く触れただけで、ほとんど百発百中といっていいぐらいに各人の病気がいちいち言いあてられた。
わたしは特に病気と名のつくものをもっていないが、かの大震災の苦い経験から井戸の必要を感じて井戸を掘り、そして一種の抵抗療法のつもりで寒中でも浴衣一枚で毎日水汲を二年ばかりも続けた。
そのせいか膝に神経痛を起こして、階段を上るのに非常に苦しくなった。
不思議なのは、停車場などのプリッジの階段を二つずつ一度に昇るにはさして差支えないが、一づつ上るのがなかなか困難なのである。
で、わたしはだまって西氏に診てもらう、と氏は例の触手療法によってわたしの脊椎を検査し『すこし腎臓が悪いですね、そして山登りをしたり、 高い所に登ったりするのにはつらいでしょう』とはっきり云われたには鷲いた。
こんな微細な点までも、あんな簡単な触手療法によって発見できるのかと不思議でたまらなかったのである。
西式健康法をやっている人は、わたしの知人の中にもだいぶあるが、皆体の具合がいい といっている。
西氏の説明される理論に対しては、われわれは賛成も否定もできない、なんとなればわれわれは生理学とか病理学とかいう方面にはきわめて知識が乏しいから、これを批判する能力をもたないからである。
ただしわれわれの今日の常識をもってしては、西氏の説明はたしかに合理的であるかにおもわれる。
そして実際に各人の病気を。ピッタリと指摘されるには驚かざるを得ない。
交詢社の講演を聞いたときに、そこに列席しておられたある医学博士に『あなた方医者のほうからみてどうお考えですか』と聞くと『なかなか感心ですね』という答えだったので、そうするとわれわれ門外漢ばかりでなく、専門家からみても合理的なのかな、と思った次第である。
合掌法の不思議な現象
わたしは西氏の唱えておられる合掌法を四十分間ずつ二回も試みた。
氏はわたしの指頭から出る音(いわゆる隻手の声か。氏はこの方法を四十分間やると、指の先にあるマイスネル小体というものにある突起物からクレピテーションといって一種の爆音が出て、これを拡声機にかけると素人でも耳で聞くことができるといっておられる)を聞き『あなたは、右の手も左の手もすでに他人を治療し得るだけの能力が備わっている』といわれた。
しかし、わたしはまだそういう機会に接しないので、さっぱり分らない。
日本の鉄道官僚、実業家、政治家。工学博士。南満州鉄道理事長、衆議院議員、日本通運初代社長。兄は洋画家の国沢新九郎。
西式健康法については、わたしは西氏の講演を一度聞いただけであり、それに格別病気というほどのものをもっていないために、今のところ実行しているわけではないから、実行上の体験というものを物語ることはできない。
が、氏の講演を聞いただけの感想ならば、─ 西式健康法は在来民間に行なわれている諸種の健康法と異なり、西氏の説明がいかにも合理的に聞える。
医学や生理学の専門の方からみてどうか知らぬ、とにかくわれわれ病理学や生理学に精通していない素人には、なるほどと思わせる節や惑心させられるところが多々ある。
しかもこの健康法は西氏が青年時代から自己の健康回復の必要に迫られて、何十年も刻苦研究を重ねられたうえで初めて発表されたものであるから、われわれ素人がかれこれいうべき余地がない。
生水を飲むことについては、私は西氏の講演を聞かない前から飲んでいる。
西氏のいわれるように毎日一升も二升も飲むことはできないが、五、六合の生水は毎日飲んでいる。
非常に体の具合がいいようにおもう。
とにかく、どんな健康法でも、自分で趣味をもってやらなければ長続きはしないものである。無理にやったり、不愉快な気持をしてやるのでは、効果があるどころか、かえって害がありはしないかとおもう。
それで健康法をやるには、まずそのものに趣味をもつこと、それから無理もせず、自分の体に適応して、だんだんと自然にやれるようになること、これがどの健康法を始めるにも最も必要な心懸けとおもう。
日本の実業家、政治家。衆議院議員(立憲同志会)、貴族院多額納税者議員、初代小樽区長。実業界においては、水産業、海運業、農牧場などを経営し、豊山銀行頭取、丁酉銀行頭取、金子 (資)社長、北海道造林 (資) 社長、定山渓鉄道 (株) 社長などを務めた。
わたしは交詢社ではじめて西氏のいわゆる西式健康法と触手療法について講演を聞き、その博覧強記に驚いたのである。
古今東西の文献を引き、厳正なる科学的立場に立っていろんな方面から説明されたので、何人もなるほどと肯定せざるを得なかった。
ひとたび西氏の講演を聞いたならば何びとも必ずこれを信じこれを実行するに至るであろう。
その後わたしは成瀕隆蔵氏のところで西氏に直接お目にかかって、さらに深遠な理論を承ったのであるが、聞けば聞くほど氏の健康法が科学的に出来上っているのに感心させられるばかりである。
世のいわゆる健康法のうちには、長くやっていると、ややもすれば生理的に弊害をきたしたり副作用が起こったりするものもあるが、西式健康法はそういう心配はすこしもなく、誰でも安心して実行できるから、わたしは何とかしてこれが全国に普及されて、一般国民の健康が今日よりももっともっと高まればいいとおもっているのである。
しかしこれが全国的に普及されるには、なんとしても宣伝を必要とする。
西氏は講演と実演とに東奔西馳席の混まるを知らぬほどに多忙な生活を送っておられるようだが、身公職についておられる方であるから、西氏一人で、しかもその公職の余暇をもつてその普及に従事されても限りがある。
この点において本書の出版はすこぶる意義のあることと思うが、誰か西式健康法を根抵から本当に研究してこれを自ら体験し、そうして西氏にかわって一般民衆に対してこれが普及に努力する方が幾人も出ていただきたいとおもうのである。
触手療法についてはわたしはまだあまり研究しておらぬが、 必ずいいものに違いない。が、しかし病人を治すところの触手療法よりも、体力精力の増進と病気の予防を目的としたところの西式健康法をまず第一に全国民に向って広めたいとわたしはおもっている。
先日新聞でみれば日本人の寿命の平均はわづかに四十二、三歳ということで、実に心細い話である。
これが西式健康法によってわれわれ日本国民がそれぞれ自らの天寿を延長し、よりいっそう健康になることができたならば、本人はもとより、よりいっそう活動的な肉体と精神とをつくるこまた国家的立場からいってもどれほど結梢なことかわからない。
繰り返していう、わたしは西式健康法の全国的普及を熱望してやまない。
明治から昭和にかけての衆議院議員(6期)、銀行家、帝国商業銀行取締役会長、東洋拓殖総裁等を歴任。号は孤竹。勲四等瑞宝章。慶應義塾に入り一時東京英語学校に遊学し、明治23年(1890年)に慶應義塾大学部を卒業。はじめ、三井銀行に入り、大阪支店を経て函館・長崎などの要所の支店長を歴任し、三井銀行本店副支配人に就任する。また、明治石油、大日本製糖、朝鮮産業鉄道、蓬莱相互生命保険、東邦炭鉱、三井物産、雨龍炭鉱、第一火災海上保険、名古屋製糖などで重役を歴任。帝国商業銀行取締役会長に就任する。その後、帝国自動車を創立した。
わたしはこれまでいろんな運動法や健康法について見たり聞いたりしたことがあるが、なるほどと会得させられることがあっても、さて実行となると、性来が無精なせいかなかなか億劫で、毎日きまって やる気にはなれない。
また、自動車や俥(くるま)に乗るよりも、歩いた方が体の運動になると思って、努めて徒歩するようにしているが、それとても他の人たちのように、いわゆる運動のためにと一定の時間あるいは一定の距離を規則正しく歩行するというようなことはできない性分であり、また、実際自分の健康は特別の健康法で維持せねばならぬほど弱くないつもりなので、なにか強健法をやるとか、養生法をやるとかしたことはなかった。
ところが、親戚にあたる成瀕隆蔵氏の宅で、西さんにお目にかかって始めて同氏の健康法に関するお話を聞き、その該博であって、説明が明確で暖昧模糊たるところは少しもないのに敬服し、また氏の講演されたパンフレットを読み、その後一両度講演を聞いて、博覧博識、その研究の尋常一様でない偉い人であると、まず惚れ込んでしまったのである。
わたしは昨年七月から毎日毎晩必ず実行し、ちょうど満一カ年になる。不思議なもので、わたしのような無精者も、今日では一回でも欠くと気持が悪いくらいに習慣づけられてしま た。
これまでどんな健康法でも説明を聞いただけで一度も試みたことのない無精なわたしが、一カ年も永続して来ているというのは、つまり西氏の運動法が体力精力の増進と病気の予防とにたしかに特効のあるものであることを無条件で信 ずることができたからではあろうが、ひとつは従来の自彊術や健康体操などと違い、方法が極めて簡単で、わずか十分間でいつでもどこでもできるということが、わたしごとき無精者を引きいれたのでもあろう。
さて、それならばどんな効果があったかというに、いま云ったとおり元来わたしの体そのものが丈夫であるから、西式健康法をやったからといって、病弱の人と違って目に見えた効果というものは認められない。
が、わたしは丈夫な割合に、これまで頭痛がしたり、発熱したりするようなことがときどきあったが、昨年以来は風も引かなくなったし、頭痛もしなくなった。
それがこの西式健康法のおかげであるか否かは判然としないとしても、とにかくわたしは、この健康法は有効なものと信じて、毎日実行を続けている次第である。
水を飲むことに関して元来わたしは、体質といおうか、水分をあまり欲しないのである。喉がかわくというようなことはほとんどないので、茶や水をガプガプ飲むようなことをしない。飲むとすぐ排泄を催して困るのである。
そのため西さんのいわれるようたくさんの水を飲むことはあまり実行しておらなかったが、このあいだ西さんから水の効能を大いに聞かされたのでこのごろ実行し始めた。が、まだ一升以上は飲めない。
要するに西式健康法は極めて合理的であり、簡単であるから、わたしは何人にもお勧めすることを躊躇しないのである。
日本の銀行家。第3代第一銀行頭取を務めた。共立学校(現開成高等学校)に進学後渋沢栄一の書生となる。1895年高等商業学校(現一橋大学)卒業。同期に佐野善作(経済学者)、岡崎久次郎(日米富士自転車創業者)など。卒業後第一銀行に入行。書記、預金係主任兼貸付係主任、横浜支店長次席を経て、1902年には横浜市長に推挙された市原盛宏の後任として横浜支店長に就任。1910年本店営業部支配人。1918年常務取締役。1926年副頭取。1931年頭取。
実行に億劫でない
わたしが西式健康法の存在を知ったのは、実は去年の秋ごろのことであった。
わたしの友人に熱心な実行者がいて、その人から西さんのパンフレットを一部貰って、是非これを実行したまえと勧められたのであった。
しかしわたしは以前から、ある式の体操を実行しており、心身にもいい結果を得ておっ たので、あまり西式に気をとめず、パンフレッ トはそのまま読みもせずに拗り出しておいた。
すると今年の一月になって、またその友人が来て盛んに西式健康法の効能をのべ、しきりにその実行を勧めたので、わたしもそれではというので、放っておいた。パンフレットを改めて読んでみて、このときはじめてこの健康法の偉大なことを知ったのであった。
わたしはこのパンフレットを読んで、まず何よりも西さんの学問の広汎なのに鷲いた。
そして説くところが、実に合理的で、方法がまことに簡易であるのに感心したのである。
この方法の簡単であるということがまずなによりも結構なことである。
面倒なものは、いかに理論が合理的で方法が立派でも、実行にさいして人に億劫な感じを与えるから、それでは長いこと続けて実行することがむずかしいものであるが、朝起きたときに十分、夜寝るときに十分、場所は床の上であろうが畳に座ってであろうが一切かまわぬというのであるから、誰にもこれほどのひまの得られぬということはない。
つまり誰にも億劫がらずに実行することができる点で、この西式健康法は、実にすぐれた方法であると感じたのである。
最少労力で最大満足
そこでわた氏は早速信者となって、西式強健法を実行しはじめたが、今日まで約半年間の実行の結果は、パンフレットでわたしが読んだとおりで、つまり理論が合理的で実行が簡易であるために、少しも億劫さを感ずることなしに毎日怠らず実行ができて、非常に具合いが、よいので、今度はわたしが主になって、他の友人たちにも勧め、家内にも親戚にもやらせる始末になった。
元来わたしは、これといった病気があるわけではないので、 肉体的に眼に見えた効果が現われるということはないが、それでもこれをはじめてからは、どことなく身体の調子がよくて、もちろん精神的にも非常にいいような気がする。
実を云えばわたしはまだ西さんの講演を一度もきいたこともなく、顔さえ見たこともない。
従って直接手をとって教えてもらったのでもなく、パンフレットだけでやっている。
いわば自己流のやり方であるかもしれぬが、それでも効果は十分にあげており、その点直接西さんの講演をきいたり、講習をうけたりした人と、少しも変らぬ信者だといえるわけである。
そしていまでは、わたしからわざわざパンフレットを贈って、勧めて実行者にした人もあるくらいであるが、最少の労力をもって最大の満足を得ることが経済の原則である以上、われわれ経済界にあるものは、最もこの点に共鳴を感ずるものである。
日本の鉄道官僚。実業家。教育者。東京帝国大学法科大学独法科を卒業。逓信省鉄道局に入り、逓信書記官、鉄道院参事、同理事、中部鉄道管理局運輸課長、逓信大臣秘書官、鉄道院総裁秘書、鉄道省運輸局長、鉄道次官を歴任した。退官後は、東京地下鉄道副社長、日満亜麻紡織株式会社取締役、玉川電鉄取締役、池上電気鉄道取締役、目黒蒲田電鉄取締役、東京横浜電鉄取締役、東武鉄道取締役、理研重工業取締役、鉄道同志会理事・副会長・会長、ジャパンツーリストビューロー常務理事、帝国自動車協会副会長、日本交通協会常務理事・会長、日満実業協会監事・常務理事、東亜経済懇談会常務理事、東京商工会議所交通部長、鉄道軌道統制会会長、東京帝国大学経済学部講師、拓殖大学講師、昭和高等鉄道学校校長、豊島商業学校校長、東京交通短期大学学長など多くの公職に就いた。
わたしは岡田式静坐法と自彊術をかなり長くやっていたし、石井少将の生気療法もやったし、カイロプラクティックも試みた。
最近また西式健康法をも実行しているが、何分まだ日が浅いので西式健康法を始めてから、体験的な材料は多く持合わせていない。
わたしの考えによると、西式健康法は、脊柱を真直に整えて、その不正から起こる諸種の病気を予防ないし治療しようというカイロプラクティックの方式と下腹部の運動とを同時にやるのであるから、悪かろうはずがない。
そして他の健康法であると、多くは長所もあるかわりに短所もあるが、西式健康法はまず弊害の方はほとんど伴わないと思う。
生水を飲むことはしごく 結構であるが、ただ分量が西式のは多きにすぎはしまいか?西洋人は非常に生水を飲む習慣があるが、日本人は一般に生水をおそれて避けたものである。
もちろん不良な井水は危険であるが、有害な徽菌を含んでいない清浄な生水ならば、お湯を飲むよりも遥かに体にいいとおもう。
わたしどもが外国へ行っていた時分は、ホテルやカフェなどで白湯をくれなどというと不思議がられたもので、なんでも白湯を飲むと虫がわくといわれたものだ。
お湯は紅茶か珈琲か、 何か入れなければ飲むものでないと西洋人はおもっているのである。
近ごろ日本でもカフェやレストランなどで食事のときに生水を持ってくるようになり、生水を飲むことがだいぶ流行してきたようだ。
これはたしかにいい傾向である。
西氏は生水をたくさん飲むと腸の掃除ができるといっている。
それは事実かどうか知らぬが、わたしは生水を飲むと、十日に一度ぐらいは下痢をする。
別に腹が痛まないから、下痢に頓着なしに生水を続けて飲んでいると、下痢は自然に止まる。
西式健康法は方法が簡単で誰にでもできる。
しかしあまり簡単で単調なために、あっけなく思われて飽きられはしまいかとおもう。
その運動の主旨なり理論なりはいいのであるから、実行者をして飽きさせないように、なんとか一工夫したらどうかとおもう。
こういったとて現在の西式健康法の方法そのものがまちがっているというのでは決してない。
西氏の教えるとおりに長く実行を続けていたならば、たしかに効果をあげ得るに違いない。
ただ実行者をして飽きさせないように、いま一段の工夫をしてみたらどうかというだけの話である。
わたしはこのごろ知人にだいぶ西式健康法の実行を勧めている。
わたし自身は、これから実行を長く続けて行くうちには、もっと具体的に体験的材料がきっと得られるに違いないとおもう。
アジア貿易商人明治7年(1874)大阪の実業家「唐木屋」の一人息子として生まれる。幼名は利三郎。15歳で香港に渡り、現地の目本人商会に勤めるが、目本領事に説得され、帰国。第三高等学校、東京商業学校(現一橋大学)を1895(明治28)年卒業、同年家督を相続し、利兵衛を襲名する。以来、得意の語学と幅広い人脈を生かして、貿易関係で活躍をする。美術、建築に造詣が深く、自らも設計も手がけたといわれている。
『実業之日本』が国民的健康法として、先に岡田式静坐法を唱導し、今また西式健康法を提唱せられることは敬服に堪えない。
わたしは岡田式静坐法の熱心なる実行者であって、岡田先生の死後、木下尚江(きのしたしようこう)氏について今なお続けている。
木下氏は、人も知るごとく我国最初の社会主義者であって、富を呪い、資本家に反抗したものであった。
それはつまるところ自分も富豪と一様に物質的に富みたいという心にほかならなかったのである。
そのころの氏の風釆は眼光爛々として、いかにも革命家の ごとき鋭き風貌であったが、静坐法を体得するに至って、体はデップリ肥り、福徳円満な、実に潤いのある慈悲そのものというような感じの人になった。
それは人間を幸福にするものは物質ではなくて健康と心の平和である。
すなわち身体と精神の富は何ものにも換えうべからざる宝であることを悟られたからである。
健康法の真髄に徹した人は、何人もかかる境地に達することができるとおもう。
しかしてこの境地はやがて西式健康法の堂奥を極めることにおいても体得しえられるに違いない。
岡田式静坐法と西式健康法は、全くその方法を異にするけれども、脊柱を整え、腹部の運動をなす点においては、結局おなじであるとおもう。
ただ西式健康法は静坐法のごとく長時間端坐する必要なく、わずかに十分間の運動で足りるから、実行極めて簡単で、しかも現代の科学に即して、すこぶる合理的である。
わたしは従来食道楽であって、どこの何料理がどうの、あそこの何焼がどうのと、珍味佳肴をあさって歩いたものである。
常に美味を求めて止まぬというのは、結局何を食ってもまずいとうことになる。
すなわち胃袋が丈夫でないからである。
ところがわたしは西式健康法をやりだしてからはパンをかじっても何を食ってもうまく、以前のように必ずしも珍味をあさって歩かなければならぬということはなくなった。
これなどはたしかに西式健康法の効果であって、これをやれば貧しき者も王者のような気分になれて、愉快に生を楽しむべく、思想その他すべての行き詰りは自から打開せられることと思う。
明治-昭和時代前期の経営者。安田銀行常務となり,安田保善社理事をかねる。また日本酸素、浅野セメントの取締役もつとめた。
わたしは大正三年まだ地方にいた時分腎臓をやみ、一時仕事を廃そうとまで思ったが、当時貴社で宣伝しておられた岡田式静坐法を書物で読んで実行し始め、東京にきてからも岡田先生について実地に教わった。
爾来静坐法を実行すること十数年、その間常に尿中に蛋白を絶たず、また、ときどきは病状の進むこともあったが、仕事を休むようなことのなかったことは、たしかに岡田式静坐法の賜物であったとおもう。
ところが最近においては静坐法を捨てて西式健康法を始めた。
それは静坐法が悪いからというのではないが、ご承知のとおり静坐法をやるには少なくとも四、五十分間まとまった時間を要するので、朝夕雑事に逐われ、勿忙な生活をやっているわれわれには時間の上から相当困難を感ずるのである。
しかるに西式健康法であると、わずかに十分間で足り、随時随所に極めて簡単に実行できる。
しかもまことに合理的で科学的であって、その身体に及ぼす効果は確かに岡田式静坐法よりも顕著であるようにおもわれる。
頭痛や便秘などは特に効がある。
わたしは西式健康法をやりだしてまだ月余にしかならないが、体の具合が非常によく、このごろでは家族にも友人にも勧めている。
が、ともかく自分の思うように皆がやらないので遺憾に思っているが、実験の効果がだんだん世の中に伝わり、また西氏の御購演も各所にあるようであるから、これから追々と世間に行なわれることと思う。
戦前日本の実業家。東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創立者で、日本に地下鉄を紹介・導入したことから、「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれる。1940年には東京地下鉄道4代社長となる。
西式健康法は他の健康法と異なってきわめて簡単であって、 始めて試みる人には、まことにあっけないくらいにおもわれる。
しかしその効果の偉大であることは疑う余地がない。
釈迦が難業苦業の結果「真如」の境地に入り、キリストが「愛」の世界を発見したごとき、どんなことでも詮じつめた最後のエッセンスというものは、きわめて簡単なものである。
西式健康法は、西氏が古今東西のあらゆる健康法を読破し、 自ら体験し、種々様々の苦心を重ねられた結果出来上がったもので、いわば強健法のエッセンスをつかんだものといってよい。
従来の医学や坊間に行なわれている健康法なるものは、その多くは局所的な、末梢的な治療ないし操作にとらわれている弊があるが、西氏は神経系統の中枢機能に目をつけて、まずその故障をなおせばどんな病気でも治ると考えて、脊柱と腸の運動に重きをおかれたなどは、確かに強健法の真髄をつかまれたものといってよい。
わたしの兄がかつて血栓(エンポリー)にかかって片脚が麻痺するようになったが、その結果麻痺したほうの脚が他の健全な脚に比して著しく小さくなってしまった。
これなどは神経の中枢に故障をきたしたために、脚の筋肉が発達を阻害されたのであって、われわれが健健を保つには、いかに神経の機能完全を計らなければならぬかがわかる。
わたしは朝起きると口をそそぎ顔を洗い、仏様にお経をあげてから、必ず西式健康法と自彊術とを折衷したわたし独特の健康法を試みているが、主として西式健康法の原理によって行なっている。
そのために体重が二十一貫もあるにかかわらず血圧が百二十ないし百三十ぐらいで、きわめて丈夫で、病気などはほとんどしたことがない。
これまでは日本人は自己の健康ということにはあまりに無関心であって、いったん病気になると、
ヤレ健康法だの、養生法だのと騒ぐが、治ってしまうと、またケロリと忘れてしまう。
なにごとも転ばぬ先の杖が大切なので、無病息災の健康者が病気にかからぬよう、天賦の精力体力をいつ までも十分に発揮できるよう、平素からなにか健康法を実行しておるべきで、病んでから騒ぎだすのは笑止千万といわねばならぬ。
この点において『実業之日本社』が三十余年間一貫して国民の保健衛生の道を説いておられるなどは、敬服に堪えないことであり、また近来一般民衆も健康について非常に目覚めてきて『まず健康』という標語さえ出来たのは、喜ぶべき現象といわねばならぬ。
どんな健康法でも克己心が必要で、自分がよいと信じた健康法ならば、必ず持続してやるという熱心と努力が無ければならぬ。
三日坊主ではいかに理想的な健康法でも効果をあげることはできぬ。
要するに健康法は、方法そのものの優秀であることと、必ず毎日持続して やるという当人の克己心と相侯って始めて効果をあげ得るのであるから、この西式健康法も、まずこれが理想的健康法であることを信じ、そうしてこれを始めたなら三日坊主で終らずに熱心に努力して永続するようにしていただきたいとおもうのである。
熱心なる信仰者
わたしが西氏創案の健康法を実行しだしたのは、今年の初めからであるから、まだ半歳の経験である。
けれどもその効果は実に確実なもので、全く感謝の他はない。
さっそく私の家族に勧めて喜ばれ友人知人を初め、わたしの勤めている会社の諸君に渉(わた)り、あるときは二、三人にあるときは数百人に、西氏の代理者のつもりで、この簡単にして偉大なる健康法を熱心に紹介推賞している次第である。
しかして聞く人々のうちには、多数の実行者が現われて、種々様々なる効能が経験せられ、そういう人々はまたさらに熱烈なる信仰をもって友人知己に語らざるを得なくなり、一波は万波を生んで幸福の波紋が押しひろがっていきつつある有様である。
わたしは西氏の多年の苦心研究と利他主義の潔き志とに対して感謝の気持をもって、わたしが西式強健法を推賞勧説(かんぜい)する理由と、その驚くべき効果の実例とを三、四記してみたい。
尊い体 験の所産
西式強健法の推奨に値する理由の一つは、それが単なる理論や思索の産物にあらずして、血のにじむ体験の力強い所産である点にある。
元来西氏は幼少のころより蒲柳の質で、青年時代にも常に多病に悩まされ、ためにこの苦難より脱せんとして研究を積むうちに、人体の生理、病理、薬物等に次第に詳しくなり、いつも数種の薬品をポケットに携えて歩くことを習いとし、自然友人間においてもドクトル扱いにされ、渡米してコロンビア大学に研修のおりなども、かの地の人々に医学博士とまちがわれたくらいであったとい う。
このように身体の弱かったことが医薬に通ずる原因となり、それがさらに一転して同氏の旺盛なる研究心は、世のいわゆる強健法なるものを片端から究明しては実験し、攻究しては体験して、その数実に三百数十種に及んだというから熱心のほど推して知るべきである。
そうこうするうちに、 健康は全く建てなおり、生来多病なりし西氏は別人かと思われるほどに根本的に強壮となられ、自分の身体、自分の健康を自由自在にマスターするようになって人体の強所弱所の案内がよく解り、その強所を用い、弱所を強めてゆくという原理のうえに組立てられたのが、すなわち西式健康法である。
さればこの健康法は断じて想像や空想の所産ではない。
また単なる理論ではない。
尊き実験の実証である『来たりて見よ』と示すものをもって、事実に立っているのである。
科学的で合理的
西式強健法の推賞に値する第二の点は、従来多くの健康法が、ただこうすれば万病が治るとか丈夫になるとかいう方法順序を教えるのみであったのに比して、非常に科学的にその根拠とする理由を説明するところにある。
なぜこういう健康法を実行すれば、病気の根源を治癒し、健康を増進し得べきかを、生理、病理、解剖の立場から、かつ精神心霊の境地から自然の大法に則って、実に明白に説明せられるが故に、いかなる階級の人も、知識の高遠な学者も、常識と経験のみにて活動する実際家も、老幼男女を問わず、聞く者皆『成程!』とうなずかせられるのである。
これは大なる力である。
また多数の人々をして希望をもって喜んでその実行に突進せしむるゆえんである。
方法はすこぶる簡単
わたしがこの健康法を推挙する第三の理由は、その学理的根拠の非常に深遠合理的なるにかかわらず、実行方法はすこぶる簡単手軽で、どんな人にでもむずかしくない、老人子供にでもすぐできるし、そうして別になんらの身構えも支度も要らず、着のみ着のままで、坐っていても腰かけていてもできる。
また場所も所もかまわず、いかなる境遇においてもよろしい。
従って朝起きがけ、夜寝がけ、あるいは家庭にあるとき、労慟に従事中、随時随処に行なうことができるのはまことに便利である。
それに実行の時間も一回十分か十二、三分もあればよいのであるから、どんな多忙な人でも『そんな暇がない』というはずはない。
経費を要しない
西式健康法をすべての人に勧めても少しも気苦労のないことは、それがなんらの費用を要しないからである。
これ、 わたしがこの健康法を推賞する理由の第四である。
全く驚異に値する効顕ある治病と強健の方法であるから、
たとえいくら報酬を要求されても、修得したい希望者は山ほどあるに相違ないのに、西氏は少しもこれを秘密にすることなく博愛救世の大精神から、なんらの利益を求めず喜んで公開し、ひたすら多くの人々の幸福を計っておらるれるのである。
されば有産と無産との区別なく、誰でも謙遜にうけ容れて真面目に実行さえすれば、少しも出費を要せず、この無限の価値ある健康治病の秘訣をわがものとすることができるのである。
効果極めて絶大
この健康法を極力勧奨せんとする第五の理由は、その方法のいかにも簡単容易であるにも似ず、その効果の真に驚嘆に値するものがあるからである。
ことに西氏の伝授せられる(しかもなんらの報酬なしに、誰人にでも)マイスネル触覚小体の爆発による接手療法または触手療法とか、簡単至極な痔の養生法とか、ないしは便通の促進法などは、それは全く不思議神秘の効能顕著なものである。
いま最近の実験二、三を摘記してみるならば、
【ぜんそくの根治】わたしの家内はいまから八、九年前に右肺尖カタールを患って、二、三年の養生で幸いに全治したが、一つ困ったことにはそれ以来不定期に軽いゼンソクのような呼吸困難が発作するようになった。
ことに多忙で睡眠が不足することが続くとか、すこし急ぐことがあって、われ知らずせいて急いで歩くとか、 夢中になっていると、突然不意にやってくることを常としたのである。
いかなる器管の故障かといろいろ博士方に診察をうけても、 普通ではなんらの故障なしと診断され、発作の起こった時といってもそれがいつ初まるか予想がつかず、しかも医師を呼びにやる間もなしに収まってしまうという風で困っていたのである。
ところがこの二月以来西氏健康法を実行するようになってからは、フッつり忘れたようにその発作が起こらなくなって、いかに多忙に毎日々々活動しても、時間の都合などで走るようにして道を急いでも、来客などの関係で睡眠不足が続くことがあっても、まだ一度も例の苦痛に襲われないので、とても大喜びである。
非常な惑謝で毎朝毎晩運動をし、水を飲み、多くの人々にも熱心に勧誘しつつ元気に活動している。そうして血色なども皆の人々から異口同音に羨まれる有様である。
【便秘と痔が治る】重大なる責任の衝に当たり回願奮闘しつつ、一方多くの子供のある家庭をひかえている友人某は、高等学校時代前後数年間、毎早朝より新聞配達などの苦学をしたために、便通など思う時間に出来なかったりした関係上それが習慣となって、それでも若い時分には何の感じもなかったが、ようやく年を経、社会的苦労の生活を積むに従っては、だんだんと便秘の災いが健康のうえに力強く表われるようになり、ことにこの一、二年来は梅雨近くなると次第に劇しくなり、ために脳貧血を頻発したり、食欲を失ったり、しかもそれが年々嵩じてゆく傾向にあるので、今年もまたそろそろその時期が近づくのを心ひそかに心配し、周囲の者もそれとなく案じていたのであった。
果せるかな一週間も十日も便通があったり無かったりが初まったところへ、先月のある日わたしがある用件でいっしょになって、その席に健康の近況を尋ねると、以上の様子である。
そこで短時間であったから、とりあえず仰臥して左足を高く揚げて、さらに膝の所を曲げてそれをドソと放り出すという、便通促進の方法と、痔の治療運動法と、それから水を飲むこととを紹介して奨めておいたのである。
さて月余を経て数日前に相会してみると、これは驚いたことには同氏がたいへん血色がよくなって、やや肥っていられる。
そうして顔を見るなり、まず衷心よりの感謝の辞を浴びせられ、わたしから聴いた翌朝より離床前に十二、三回左足放りだし運動を試みて、十分間ばかり経つと、不思議にも早速便通を催し、爾来毎朝アノおかげにて快通あり、すこぶる心気爽快、この分ではもはや心配がなさそうであると、真実感恩の情を甚えておられたのは私もうれしかった。
このほか触手療法によって自分ながら不思議なほどの好果を挙げたわたしの体験や知友たちの経験はなかなか多い、また脊骨と下腹部の運動によって得られつつある、いろいろの幸福の実例は数多くあるけれども、いまはこれくらいにして止めておきたいと思う。
とにかく西氏の健康法は失うところなくして得るところ多き、世にも珍らしき良法かなである。
簡単にして合理的な、 天地の法則に適ったやり方である。
これを万人に弘めるは大なる善事である。
『実業之日本社』が卒先してこれに力を注がれることは社会的の大なる奉仕であると申し上げたい。
腹ぐあいがよくなった
わたしは元来十文字大元氏の自彊術を信じて、これを毎朝かかさずに実行している。
そしてこれが非常にわたしには適しており、これによってわたしはますます健康を増進しつつある。
しかるに最近西式健康法の存在を知り、西君の講演をきき、大いにその有効なることを知ったので、わたしは日常の健康法として、自彊術と共に西式健康法も併せて実行している。
すなわち自彊術のように、できるだけの大声をはりあげて、どたばたと暴れまわることは、夜の運動法としては少し不向きのように思う。
そこで私は朝だけは相変らず自彊術をやり、夜寝る前には西式健康法を実行することにした。
わたしは元来きわめて健康なからだの持主でもあり、それにまだ西式健康法を実行してから日なお浅いのであるから、実はその効果を云々する資格はない。
しかし今までの経験上の効果をあげれば、だいたい次の諸点である。
まずなんといっても、大声をだして暴れ回ることもなく、場所もいらず、寝る前などに静かにきわめて手軽にやれることである。
宴会やその他の集りがあって、少々食いすぎたり飲みすぎたりした夜など、これを実行して寝れば、その翌朝は実にサッパリとした心持ちで、腹のぐあいも非常によい。
特に食いすぎ飲みすぎの場合のみに限らず、一般に西式を実行しはじめてからは、腹のぐあいは非常によくなったようにおもう。
これは大いに水をのむせいだろうと思うが、通じのぐあいもよく腹も少し膨れてきた。もっとも、わたしのからだでは、むしろ痩せた方がいいとは思っているけれど、とにかくこの ごろは腹がふくれてきた。
いままでに覚えぬ快味
次にわたしは、毎日寝具にはベッドを用いているが、このベッドの敷蒲団の下に、西君の説によって板を一枚入れて寝ることにした。
ところが今までのフックリした蒲団では、いくら仰向きに真直に寝ても、多少背中が曲がることは避けられなかったが、板を一枚入れると背骨が全く真直になって、実にのびのびと安らかな気持になる。
そしてこれによって、あらゆる疲れがみんな体から抜けだしてしまうような心持ちがする。
この気持はとうてい今まで得られなかったところで、実にこれは止められないほどの効果をもたらしたものである。
経験の浅いわたしには、まだこのくらいのことしかいえぬが、とにかく静かに簡単にやれることによって自彊術のような過激な運動の適せぬ人には西式健康法は非常によいとおもう。
つまり健康な、若い人々には自彊術は非常にいいと思うが、自彊術にはちょいと入りにくいような老人には、西式健康法が適しているのではないかとおもう。
福岡県若松出身。1895(M28)小学校卒業後、石油などを行商して歩き、1897筑豊鉄道に給仕として就職。 1905叔父の会社である巴組の肥後・門司支店を引き受け海運業に乗り出した。’20(T9)内国通運相談役、’23専務取締役に就任し、経営の立て直しをはかった。 ’24社長に就任。’28(S3)通運業界大合同の橋渡しを行ない、国際通運を設立して社長となったが、’37同社を含め7社が合併し「日本通運」が設立されたため社長を退いた。 ’44海上火災保険4社の統合を行ない、興亜海上火災運送保険を新たに設立、社長となった。戦後、公職追放となり、解除後の’51巴組汽船を「中野汽船」に改組、社長に就任した。 財界でも活躍し、日本工業倶楽部評議員、東京商工会議所副会頭などを歴任。村田弘著作の『中野金次郎伝』(1957)がある。享年76歳。
合理的なるに感心
わたしは西式健康法をやってから、大へん身体のぐあいがよくなってきた。
わたしは以前は石井陸軍少将の生気療法を試みたことがあったが、西式健康法は、ちょっとそれに似ているけれども、より以上に合理的であるように思われる。
わたしが西式健康法なるものを初めて聴いたのは、その講演会が工業倶楽部において開催されたさいであった。
二回開催されたのであったが、よんどころない差支えのために少ししか聴かなかったので、さらに西氏に請うてわたしの会社(国際通運会社)で、三回講演してもらったのであった。
わたしはそれ以来、西式健康法の信仰者となり朝夕実行しているわけである。
なにしろ西氏は学識該博の人で多くの医書を播読しておられ、従ってその説明せられるところが、いかにも合理的であり、その講演を聴く者に確信を与え、信念を抱かせしむるところから、わたしも自然にその信仰者となり実行者となり、またこれを実行すれば健康になるという確信をもって日々試みている。
簡単で効力偉大
その健康法がいかによくてもその方法が煩雑で、かつ長時間を要するものでは、わたしどものような忙がしいものでは、不適当であるが、西式はその方法がいかにも簡単で、かつ要する時問も緩くりやってもわづか十四、五分、急いでやれば、十分ぐらいですむのであるから、私どもにとっては至極調法である。
こうしたことが、わたしがまずもって西式の礼讃者になった第一の理由である。さてこれを実際に試みてみると、疲労がとれて、心身ともに軽快を覚ゆるので、いかにも清々しい気分になる。
昨年の 春、過労のせいか、少々尿に糖がまじっていたが、西式を試みて以来段々糖が出なくなり、このごろは大へん身体のぐあいがよくなった。
わたしは毎朝起きると、すぐ試みるのであるが、そうすると気分が爽快になり、頭脳がハッ キリする。
たとえ夜ふかしをして睡眠が足らないような場合でも朝起きて西式をやると夜来の疲れがなおり頭脳が明快になる。
疲労除去心身軽快
少々食べすぎたと思っても、西式をやると、腹中の運動法でスッカリこなれてしまうような気がする。
以前四谷に住んでおったさいには、早朝明治神宮まで散歩したものであったが、麹町に移ってからは、段々忙がしくなり、ゴルフ倶楽部も二カ所入っているのであるが、なかなか試みる余暇が少ない。
そこへ西式をやることになって以来は、居ながらにして、腹中の運動が簡単にできるから大層ぐあいがよい。
それから夜分寝る前に西式を試みると、たちまち心機一転して心も頭も軽くなり、たちまち睡魔に襲われて熟睡することができる。
そうしてそれがわづか十分でもすむ から、しごく調法なものである。
また日中忙がしいうちに、ちょっとの閑を利用して数を数えたり、頭を左右に動かしたりすると、いろいろな用務で、ゴッチャ返しになっている頭脳を、たちまち空虚にして、いわゆる無我の心境に悠々することができる。
これがために心身の大なる養生法となることはいうまでもないのである。
人間は居住座臥、いかなる場合にも心のうち余裕を有していることが必要である。
それには忙しくて身体がいくつあっても足りないというようなさいに、十分ぐらい西
式を試みると、心に余裕を生じ、不動山のごとき信念が腹の底から湧いてくる。
こうしたように西式をやると頭脳がハッキリしてくるから、 従って事に当たって判断裁決をくだす場合に、役にたつことになるわけである。
生水の礼讃者となる
わたしは西式の信仰者になって以来毎日たびたび水を飲む。
日々会社へ出勤すると給仕が早速お茶代りに水を一ばい入れたコップをもってくるのが例になっている。
こうしたために、便通が一日に朝と晩の二回あって、たいへん腹ぐあいもよいし、気分もせいせいしている。
わたしどもの会社でも、お茶代りに生水を飲んでいる人々が少なくない。
骨と皮ばかりの病人
私はかつて十三年もの長い 間、胃病のために苦しんだものである。
一度々々の食事のあと一、二時間経つと、必ず胃の内壁がチクチクと刺されるように痛みだす。
最初のうちは胃散や重曹を用いては痛みをとめていたが、馴れるに従ってそれも効力はなくなった。
そのためか私は食物に対して非常に神経過敏となり、家にあっても外出先きでも食事については気むずかし屋で通り、他家へ訪問などしても、食事を勧められることがなによりも苦痛となり、やむを得ずご馳走になった場合などは、帰宅の途中で必ず痛みだし、そのたびに私は手近なカフェなどに飛び込んで、熱いコーヒーにウイスキーを混ぜて一気に飲み、二、三十分静かに休んでは痛みを治めた。
冬は懐炉を離したこがとなく、常に厚着をし、夜は必ず湯タンポをかかえて寝た。
こんな状態が永続したのだから、勿論からだは骨と皮ばかりに痩せ、顔色は青黒く、神経は衰弱し、肩は凝り、着物は重くなり、毎月二度ないし四度は発熱して臥床し、冬はとかく風邪をひいた。
帝大病院で診察をうけたところ、結果は肺病と断定され、自分はもとより、家族一同もすっかり悲観し、小笠原島へでも移住しようかなどと、親類縁者に相談したこともあった。
西式健康法で救われる
そんなわけだから私はいろいろ、勧められるままに各種の薬はもちろん、強健法、健胃療法も試み、温泉めぐりもしてみたが、いずれも思わしい結果を得ることができなかった。
で、強健法とか健体術とかいう種類のものにもいいかげん愛想をつかしているころ、私は西式健康法の西先生の購演をきいたのだった。
忘れもせぬ昭和二年六月十八日、私の属する組合で西先生に購演をお願いした。
私は、あつものに懲りた経験から、最初のうちは何であんなものが効くものかぐらいに
考えていたが、聴いている間に、しらずしらず引き入れられ、ときの経つのを忘れてしまったほど私は感動をうけたのであった。
それはいままでありふれた健康法とは全然異り、第一に合理的で、科学的で、その理論には一々首肯せざるを得ぬものがあった。
私はその夜から直ちに西式健康法を行した。
初めのうちは朝晩十分間五百回ずつの運動は苦しかったが、からだを治したい一心に、私は一所懸命にやった。
はじめの一カ月ぐらいの間は肩も疲れ、頸筋もギクギクいった。
そしてその間も時々胃が痛んだ。
また毎日コッ プに十四、五杯ずつ 生水を飲んだため、一時は腹もゆるんだ。
そこで この点を先生に 話したところ、そんなことには頓着せずにいっそう熱心にやれ「必ずよくなる」と信じて行なえといわれ、また懸命に朝晩の運動をつづけた。
およそ三ヵ月も続けてみると、さしもに頑固だった胃痛も忘れたように起こらなくなり、従って肩の凝りも神経の亢奮もいつの間にか治り、気分も静かになり、こけた頬もだんだん肉がついてきた。
医者を驚かす
私が西式健康法をはじめてから、今年の六月で満二年になる。
その間一日も欠かさず運動を続けたとはいうけれど、実は私もときどき飽きがきて、五百回のところを百回ですましたり二百回でやめたりしたこともずいぶんあった。
しかもそれですらこんなに効果があったのだから、もっと真面目にやったなら、その効果はもっともっと偉大なものだったに違いない。
私も考えて、飽きぬために大鏡に向って体をふることを試みた。
そのためばかりではなく、だんだん身心に対するいい影響が見えて来るので張りあいも生じ、そのため飽きることもなくなり、十分間に五百回往復なら楽に振れるようになった。
また人中でやることは最初かなり苦痛だったが、眼をつぶっていれば他人のことはわからないし、馴れてしまえば何でもなく、今では電車や自動車の中でも平気でやれるようになった。
ところが去年の冬、さる宴会で食べたものに中毒したかして、その夜は明けがたまで十数回もの猛烈な下痢をした。
しまいには耳が遠くなり、歩く力も抜けてしまった。
そこで私は気がついて、水を飲めるだけ飲んで、床の上で六、七百回からだを左右に振ったところ、また大量の下痢があってそのままグッスリ寝てしまった。
翌朝医者がきて診察をしたが、熱がほとんどないので不思議がっている。
そこで西式の話をすると、医者は乱暴だといって驚いていたが、そのまま二、三日で完全に癒ってしまった。
明るい家庭をとり戻す
その後真夏のころ、房州の海岸へ行き、炎天に照りつけられては海に入り、水を飲み、鮑、栄螺、西瓜などと手当り次第に暴食したために毎日下痢を続けた。
しかし医者にもかからず、あい変らず水を飲んでは西式の運動を続けたけれども、下痢はとまらなかった。
私は帰京して早速先生にその不平を持ち込んだところ、先生は私の毎日の運動法をみて、その方法の十分に正しく行なわれていないことを発見され、いろいろ注意してくださった。
私は自分の不明に慚愧し、今度こそ先生の注意通りに運動し、腸を完全に運動させるようにしたため、その後は腸を冒されるようなこともなくなり、今年になってからはまだ一度も病臥したこともなく、あれほど食物については神経質だった私も、今ではなにを食べてもだいじょうぶで、精神も常に爽快で、毎日愉快に活動をしている。
つい先ごろもった三年ほど会わなか友人に会ったところ、私が非常に健康そうにみえ、しかもどことなく偉くなったような顔に見えると批評した。
やはり健康な肉体に健康な精神は宿り、そして精神的にある余裕ができたためであろう。
いまでは朝晩五百回はなんでもなく億劫でも大儀でもなくなった。
そして毎日の仕事も愉快で家庭も明るく、世間の人々とも快く交際を続けている。
触手療法の 偉力発揮
また先日家内が膀胱を病んだときも、下女が喰いすぎて腹痛を起こしたときも、また向うずねを裁縫板に打ちつけて痛めたときも、いずれも私は触手療法によって完全に治しえた。
神経痛、リウマチその他種々の病人が伝えきいてはやってくるので、時間の許す限り私は触手療法で癒してあげている。
私は自分がこの健康法の実行者として、二カ年の実行によって十三年間の痼疾を完全に治癒し得たのであるから、この福音を親族たちにはもちろん、同業組合その他知り合いの人々にも頒(わか)ちたく、機会あるごとに西先生にお願いしては講演をしていただき、それによる実行者には百人が百人ともに喜ばれている。
これは西式健康法が単に肉体的効果ばかりでなく、同時にまた自然に精神の統一ができて、人として真に円満な性格の持主となることができるからにほかならない、と私は確く信じている。
西式健康法のフィットネス(レッスン動画)はこちらからご覧いただけます。
https://minus-chokaz.jp/fitness/