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人間が、人間らしく生きる環境
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人間が、人間らしく生きる環境
2023.05.26
前回のブログでは、細菌と共に生きるスーパー・オーガニズムである人間が、いかに複雑で神秘的な構造で成り立っているかを、四方山話としてお話しました。
今回の投稿は、その続編です。
目次
日本の医療費は毎年、1兆3000億円程度というあり得ないペースで増加しつづけています。
現在の日本の医療福祉関係予算は、一般会計上だけでも50兆円前後にまで達しています。
これは2022年の防衛費(5兆4000億円)の9倍以上の規模です。
そして2025年には団塊の世代(1947年〜49年生まれ)が後期高齢者(75歳以上)になり、日本人の4人に1人が後期高齢者という超高齢化社会が到来します。
このとき、医療費は58兆円になると見込まれています。[1]
過去最高と言われた2018年の税収ですら60兆円でしたから、医療費が税収とほぼ同額になるという異常事態です。
そしてこれらのお金の大半は国内ではなく、外資系の製薬会社に流出しています。
つまり、数十兆円という国民医療費は、外資を儲けさせるために費やされているわけです。
現在のビッグファーマのトップ10の年間利益は200兆円前後で、1位のファイザー社だけでも40兆円に達します。
上位10社の利益の合計は、2022年度の日本の国家予算(107.6兆円)のほぼ2倍の規模です。
世界一の経済大国アメリカの最大収入源とは、IT利権や軍事利権ではなく、「医薬品利権」なのです。
医産複合体と言われる、製薬会社や病院、医療機器メーカーなどが莫大な利益を得る現状が、果たして豊かな社会なのでしょうか?
これはとりもなおさず、病人(顧客)が増えつづけていることの証左なのです。
治療費は多額であればあるほど税金から支払われます。
一例を挙げれば、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑(ほんじょ たすく)氏が開発した「オプジーボ」という、がん治療薬。
このクスリを体重約60キロの人に、1年間に26回投与した場合、その金額は3500万円。
これに「高額療養費制度」を適用すると、患者の実質的負担は140万円〜150万円程度になります。
高額療養費は税金から投与を行った医療機関に支払われますから、医療機関は莫大な利益を得ると共に、国の医療費は増加する結果となるのです。
ちなみに、このオプジーボの奏功率(がん治療によって、患者の容態が回復、良化、現状維持になった割合)は20パーセント弱で、およそ80パーセントの患者は、投与後に死亡しています。
一方、毎月の医療保険料は、日本の成人全員から平等に徴収されます。
したがって、誰かが病院に行けば、その医療費は、健康な他の誰かが負担しているということです。
そして、そのお金の大半は海外の企業の利益となって、日本には還元されません。
さらに戦後、GHQが推し進めた「民間による病院の設立」を安易にする税額の大幅な引き下げは、現在の「社会福祉法人と医療法人は、法人税、法人住民税までもが非課税」、という制度をつくりあげる結果となっています。
つまり、「儲かるビジネス」になったということです。
こうした異常で理不尽な状況は、永久につづけられるものではありません。
出産や健康診断、大きな外傷を負ったとき以外病院に行く必要がない、というのが理想の社会ではないでしょうか!?
現代の科学は、物事は原子からなる物質の組み合わせによって成り立っていると考えます。
そこでは対象となる事物は、その根源である原子、あるいは必要があれば更に原子の構成要素である原子核や電子、クォークといった素粒子を理解すれば、全体はその集まりとしてよく理解できると考えます。
実際それでうまく事物を説明できる例は限りなくたくさんありますから、それが「要素論」という科学の基本的考え方になったわけです。
要素論は遠くギリシャ時代に芽生え、それが少しずつ変化しながら現在までつづいています。
西洋の医学に端を発するとされる現代医学は、「要素論」が基本となっています。
医学の場合は原子や素粒子まで細かく分割して考えることはしませんが、人の体は内臓器官、血管、体液、神経、骨、皮膚、筋肉などの部分から成り立っている、つまり唯物的・機械論的に見るのです。
病気はこうしたいろいろな部分が何らかの理由で消耗したり、溶け崩れたりその他さまざまな異変を生じたり、菌に冒されるために発生すると考えます。
何故さまざまな異変が生じたり菌に冒されたりするか(原因)は必ずしも明らかにはされていませんが、現代医学関係の人たちの描く病気のイメージは、何やら要素論の応用によってつくり出された自動車(機械)の故障のイメージに似ています。
自動車は長く使っていると、タイヤも部品もライトの電球も何らかの原因で損傷してきます。
そこで対症療法をとり、症状を治そうとします。
なぜ不具合が生じたのか?
その原因はそっちのけで、部品を取り換える。
人間も自動車などの機械と同じように考えているのではないでしょうか?
このような考え方(人間観)に立つと、老化や病気はあたりまえで、諦めや無責任といった無力感が生じてきます。
たとえば、歳をとればガン、心臓病、糖尿病、脳卒中などの生活習慣病にかかっても仕方がないと考えてしまうということです。
ある解剖学の研究者は、こう言っています。
解剖室にいて最も強く感じるのは、
人体が精密工学でつくられた端正な逸品ではないということだ。
それは肉なのだ。
そしてフランスの外科医、解剖学者、生物学者で、1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、名著『人間この未知なるもの ─ Man, the Unknown』の著者としても知られるアレキシス・カレル(Alexis Carrel)博士もこう述べています。
生物を研究する学者は、まるで魔法の森の中に迷いこんだようなもので、
まわりにある無数の木は絶え間なく所を変え、形を変えるのである。
そこで、おびただしい事実に打ちひしがれ、それを描写することはできても、
数学的な方程式で定義することはできない 。
現代の医学・医療は、医聖ヒポクラテスを開祖とされています。
現在の医学校でも、ヒポクラテスが提唱した医療従事者の高度な倫理観「ヒポクラテスの誓い」が唱えられています。
しかし、どこかの時点でこの「道」から外れてしまっているように見えます。
現代医学が今日のようにクスリを飲ませる、注射する、手術する、という3種の方法を中心にした形で発展するようになったきっかけは、18世紀の解剖学者で、一般に現代の解剖病理学の父と見なされている、イタリア、パドヴァ大学の教授ジョヴァンニ・バティスタ・モルガーニ(Giovanni Battista Morgagni)の、病気と死後の内臓変化の関連の発見にあると考えられます。
Giovanni Battista Morgagni
彼は生身の人間の体には自然に回復する力(自然治癒力)があり、それは血液などの体液が体の隅々まで滞りなく流れていくことによって保たれるのだという点に注意を払わず、機械論的に解釈したのです。
西洋には「気」という概念も言葉もありませんから、精神が肉体に及ぼす影響も非科学的現象として無視されることになります。
十九世紀の機械論者の幻想や、人間を物理化学的にだけ見る幼稚な考えを、
いまだに非常に多くの生理学者や医者が信じているが、これは絶対に放棄しなければならない 。
アレキシス・カレル (Alexis Carrel)
要素論をベースとする現代の医学では、病気は「症状」です。
ですから、「症状即疾病」と診て、発熱・下痢・痛みを止める「対症療法」をとり、それを「治療」と称しています。
治療のためには、病名を決める(診断する)法的必要性がありますから、医療行為は病気になってからということになります。
そして、法的に定められた「薬物投与」「手術」といった治療法が用いられます。
対症療法の利点は、主に外科的な治療や緊急医療(ER)、そして高熱や脱水症状など、症状自体が生命維持を危険に曝す場合の処置です。
これらには、対症療法が有効です。
もしあなたがこのような状況に陥ってしまった場合は、迷わず救急車を呼んで病院に急行してください。
人間の身体は機械とは違って、大腸のおそうじや少食、運動などの習慣を身につけたり、鍛えたりすれば、ダメになるどころかかえって強くなります。
人間の身体には、要素論では説明できない、精神(気)を含む「生命力」が宿っているのです。
要素論とよく比較される見方に「目的論(自然の哲学)」があります。
哲学とは、自然界に存在する、今、在るような物質的な形に、その現象を表した力の法則と、その究極的原因を探究する学問です。
「原因結果の法則」ですね。
目的論にもギリシアのアリストテレス以来の長い歴史があり、主として生物学などの中心的な考え方の一つとなっています。
これは「自然のつくるものには(生存や進化のための)目的や理由がある」と考え、動物や植物の形や進化の様相などを理解するのに役立つ考え方です。
目的論を基盤とする「健康医学」の観点では、「人体が健康な状態に戻ろうとする過程」を病気といいます。
つまり「症状即療法」と診るわけです。
したがって、まずは病気に罹らない「予防法(Preventive Maintenance)」を優先します。
また、症状が現れた場合は、病原となっている原因を追求し、その原因を解消する力、つまり自然治癒力を高めるため、補給・補正・補強を加え、症状が治ったならば「健康法」の処置法を用いるのです。
しかし現代科学の要素論を信仰する人たちは、目的論の考え方を頭から非科学的であると決めつけ、従来の栄養学や医学を絶対視して、それに命をまかせているようです。
目的論のソースであるアリストテレスは、地上の生命の科学的探究を行なった最初の人物でもあります。
それより以前の誰よりも動物を研究、500種の目録を作成し、記載と実例をあげて講述を行い「生物学の父」の名声を長期にわたってかち得ています。
多くの協力者や援助者もあり、アレキサンダー大王もアジア、エジプトの遠征先から師父のもとに標本を送るのが常であったといいます。
この膨大な経験によるアリストテレスの記述は正確で、古びることもなく、2000年もの間訂正されなかったのです。
Carl von Linné
時を経て1758年にスウエーデンのリンネは、動植物1万以上の名を記録し、分類(両生類・爬虫類181、鳥類444、哺乳類183)し、それぞれに属名と種名を与えます。
この実用的な命名法は、規準としてただちに承認され、世界の生物学者に貢献、「分類学の父」と称されるようになります。
現代では、生物をドメイン・界・門・綱・目・科・属・種に分類整理するようになり、同定された全世界の総種数は約175万種で、このうち、哺乳類は約6000種、鳥類は約9000種、昆虫は約95万種、維管束植物は約27万種となっています。
まだ知られていない生物も含めた地球上の総種数は大体500万~3000万種の間という説が多いようです。
わたしたちヒト(=Homo sapiens)という生物を生物分類の階級にしたがって表現すると、動物[界]脊索動物[門]哺乳[綱]サル[目]ヒト[科]ヒト[属]ヒト(sapiens)[種]となります。
健康医学は、人間の各部とその全体の両方を、解剖学的、生理学的、精神的観点から「全一者」として同時に理解しようとするものです。
これを今日の言葉でいえば、「ホリスティック医療」ということになります。
ホリスティック(Holistic)という言葉は、ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(holos)」を語源としています。
そこから派生した言葉には、whole(全体)、heal(癒す)、health(健康)、holy(聖なる)…などがあり、健康(health)という言葉自体が、もともと「全体」に根ざしています。
つまりホリスティック医療とは、簡単にいえば「全体的」という意味ですが、「全体は部分のたんなる寄せ集めではなく、全体で一つの意味を持つ統一的な組織であり有機的である」との認識から生まれた言葉です。
還元主義から脱却して、これからの科学のあり方を模索する科学者たちの間で広く提唱されている世界観です。
近年、アメリカの大学の医学部では、大規模なカリキュラム改変が行われています。
西勝造(西医学健康法の創始者・日本の地下鉄の生みの親)の母校でもあるコロンビア大学医学部やその他の医学部でもそうですが、学生は「物語医学(NBM: Narrative Based Medicine)」を学びます。
なぜなら、さまざまな調査結果から、コンピュータ診断は効果的ではあるものの、診断における重要な部分は「患者が語る物語」に隠されているということがわかってきたからなのです。
30年以上も前のアメリカでのことですが、ある研究グループが、診察室での医師と患者のやり取りをビデオに収録し、調査を行なっていますが、医師は患者が話し始めてから平均して21秒後に患者の言葉を遮っていることがわかったのです。
このような背景の中、コロンビア大学医学部教授のリタ・シャロン博士は、若手内科医として病院で回診を行っていたとき、驚くべき発見をしたと言っています。
それは、医師として行なっていることの多くが、物語を中心に展開されているということだったのです。
患者は自分の病気を話し、医師も自分の言葉で話しを繰り返す。
病気そのものが物語として展開され、いたるところに物語があったことを発見したわけです。
シャロン博士は2001年、『Journal of American Medical Association』誌に、「医療における全体思考的アプローチ」を提唱する論文を発表して、「物語医学」運動を立ち上げました。
論文の中で、彼女は次のように述べています。
…科学的に優れた医学だけでは、患者が病気と闘ったり、
苦しみの中に意義を見出したりする手助けをすることはできない。
科学的な能力とともに、患者の話を聞いてその意味を把握し尊重し、
その上で患者の身になって行動する能力が医師には必要なのです…。
人は病気になったとき、自分の身に起こっていることを物語の形で理解するものだ。
患者は自らについての物語を語る。
我々が医師として治療や処置をする能力は、患者の物語を正確に認識する能力と密接な関係がある。
もし、これができない医師がいたら、片方の手を後ろに縛られたまま仕事をしているのと同じことだ。
ハワード・A・ブロディ(Howard A. Brody)
アメリカの生命倫理学者、家庭医
そしてこのような状況下にある米国では今日、薬の処方や手術よりも、患者のライフスタイルに介入する「ライフスタイル・メディスン」を実践する医師が増えてきています。
まさに「症状が発症した原因」は何か?と考えるわけです。
今日、世界的に蔓延している病気は、「生活習慣病・慢性病」ですから、文字通りその原因は、ほとんどの場合「不健康なライフスタイル」にあります。
そこで、その原因を探るために「物語医学・NBM」が有効になるわけです。
「分子生物学」や「遺伝子工学」などの研究が進むことは、社会にとって大変有意義なことだと思いますが、これを一般人が理解するのは困難ですし、理解したとしても「健康を維持するために何をしたらいいのか?」は分かりません。
現代の美と健康は、生活習慣の良し悪しにかかっています。
ですから健康医学では、何万種ものクスリや注射、高額医療機器を必要としません。
処方箋は、治療薬から「ライフスタイル・メディスン」という、健康的な生活習慣の処方へと様変わりしてきているのです。
何らかの症状を抱え悩まれている人は、まず「この症状の原因は何だろうか?」と考えてください。
自分のライフスタイルを、物語として自分自身に語ってみてください。
その物語の中に「原因」が蔵されています。
ここで重要なのが、「健康とは何か?」の知識です。
病気の知識ではありません。
健康とは何か?です。
世の中には、「病気」を教える「医学校」はたくさんあり、医師という「資格=専門家」もあります。
近年では現代医学の医師でも、風邪と診断された患者に解熱剤を処方せず、自然治癒力を優先するケースが増えてきているようですが、「健康医学」を教える「学校」はありませんし、「資格」もありません。
健康医学は、わたしたち自らが知識を得て「専門家」になるしかないのです。
弊社では、現代医学と健康医学の使い分けが重要だと考え、微力ながらこのブログや書籍・冊子でそれに必要な健康知識を提供しています。
残念ながら、この知識がない人の多くが、生活習慣病の改善ができないでいるのです。
先天性の病でない限り、その原因の多くは、「吸う空気(環境)」「食べている物(及び量と食べ方)」「飲む水(飲料)」「排泄」「過度なストレス」「運動不足」「睡眠不足」などのライフスタイル要因です。
知識をもとに原因が分かれば、それを改善する実験をして、自らを観察します。
しばらく続けてみて、改善がみられなければ、他にも原因があると考え、新たな原因を物語の中に探してください。
必ず見つかるはずです。
自然のなかには原因のない結果はない。
原因をつかみ、実験を恐れるな 。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)
アリゾナ大学医学部の自然療法医・アンドルー・ワイル博士が絶賛した、『がんが消えた─ある自然治癒の記録』という書籍をご存知でしょうか?
この書籍の著者は寺山心一翁(てらやま しんいちろう)氏で、ご自身の末期がんを、現代医学の治療から離れ、自然療法によって寛解させた記録が克明に綴られています。
寺山氏は当時、頭痛や手の痺れにも悩まされており、過去に、西医学健康法による1週間の「断食」を3度も体験した経験があったことから、平牀・硬枕などの健康法を思い出し、入院中に実践したそうです。
この時の様子をこう綴っています。
病院内に他の用途で使ったという13ミリ厚のベニヤ合板があることを聞き、お茶をサービスしてくれるヘルパーの方に見つけて持ってきてもらい、ベッドのマットとシーツの間に置き、桐の枕も自宅から持ってきてもらった。
頭痛は嘘のように直ちに治り、手の痺れは取れ、腰の痛みも無くなった。
やがて、整形外科医が診察に来たときにその成果を喜んで話したところ、
「余計なことはしないでほしい。私が医者なのだから」といって怒って帰っていった。
婦長は整形外科の医師に監督不十分という趣旨のことを言われたようで、その後婦長は腹の虫が治らなかったのだろうか、カンカンになって私のところに来て、怒りつけてナースステーションに戻っていった。
病院は一体どうなっているのかと首を傾げてしまった。
その後、私はこのベニヤ合板の上に寝る方法が最善だったと思ったので、
「自分で責任をとります」と言って自分の意志を通しつづけた。
そして退院するまでつづけた。
この西式の平牀・硬枕は瞬く間に情報として病院の中に広まっていき、試みる人が増えていった。
寺山氏は、急に医師が怒り出した態度を見て、患者が喜んでいることを怒った医師に対して、人間教育の不足を感じたとも述べています。
前述の物語医学(NBM)の重要性を、痛感させられますね⁉︎
余談ですが筆者もこの平牀・硬枕を実践しています。
ちょっとハードルが高いかもしれませんが、ぜひチャレンジしていただきたいと思います。
身体を健康な状態に戻すのは、クスリや注射ではありません。
また寺山氏は、過去の断食の際、スイマグを服用したことも思い出し、自宅にあったスイマグの服用も開始。
腸の中に長い間溜まって排泄されなかった便が、真っ黒く丸く固まって、ウサギのフンのように出てきたといいます。
やがてすっかり出し切って腸をキレイにしたそうです。
その時の様子をこう記録しています。
便が出てくると、体調が急に良くなったように感じた。
腸の中に必要のなくなったものを長期間ためることはよくないと知ってはいたが、これほどまでに効果があるとは、自分で体験してみて心底分かった。
それからミネラルウォーターとスイマグだけの生活が4、5日続いた。
ある朝、食欲が湧いてきたことに気づいた。
お腹がすいたという感じと、なにか物が食べたいという欲求だった。
毎日のように、ちよさんが玄米を枕元に持ってきてくれても、食欲がなく手もつけないでいたのが、「食べてみよう」という気持ちなった。
そのご飯をじっと見つめて、
「ありがとうございます、この食物が私のからだを生かし、助けてくれます」
と言ったら、口の中に涙にも似た唾液が湧き出してきた。
久しぶりに玄米を口の中に入れて、よく噛んだ。
ドロドロになるまで噛んだ。
やがてのどを通して胃袋の中に、川の水が流れるように入っていった。
この日を境に、私のからだがよくなっていくのを感じた。
西洋医学的には何の処置もしていないはずなのに、良くなり始めていくのを感じたのである。
… 腸をきれいにすることで血液がだんだんと浄化されて、からだが少しずつ良くなり始める状態が見られた。
自宅では、医学的な治療は何もしていないのに、体調が良くなり始めたことを確認した。
まずむくみが取れていった。
食欲が出て、少しずつ食べられるようになっていった。
毎日の小さな便りである小便の味を調べ、大きな便りである大便を便器から手にとってよく眺め、からだの中を通ってきた結果のこなれ具合を丹念に調べて、結論はもっとしっかりと噛むようにしなければいけないことだと気づき、食事のたびに注意を払うようになっていった…。
健康医学、自然療法とは、すなわち「自然治癒力」を最大限に強化する、予防(Preventive Maintenance)を中心とした療法です。
ホリスティック医療を自由診療で実践している医師の中には、「病は、自然治癒力でしか治らない」と断言する先生が何人もいます。
人は、目の前の緊急性のある事態には対処しようとしますが、将来のこととなると「また今度!」となって放置してしまいがちです。
しかし、将来はいずれやって来ます。
その将来を、あなたはどのような状況で迎えるのでしょうか?
過去と現在が繋がっているように、現在と未来も直結しています。
知的生活者は、「準備が全てである」ことを知っています。
今の備えが、明るい未来につながるのです。
わたしたちは、一人でも多くの人が「健康医学の専門家」となり、自分の周りをより美しい世界に変えていって欲しいと望んでいます。
健康医学(予防医学)こそが、わたしたち個人と世界を救う道なのです。
人は身体の中に、100人の名医を持っている。
その100人の名医とは、自然治癒力である。
ヒポクラテス
ちなみに、自然治癒力という名医は、人間の作った医学校を卒業してはいませんが、
あらゆる病気や傷を治すことができる力を持っています。
「マイナス腸活・7つの習慣」を実践している方の体内には、名医中の名医が棲んでいるはずですよ!
References