社会
Social
人間が、人間らしく生きる環境
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人間が、人間らしく生きる環境
2023.09.15
健康医学の創始者で弊社三保製薬研究所創業にも深く関わった西勝造は、1945年(昭和20年)8月1日に明治大学の教授に就任しています。
西勝造は明治大学の教室を借りて、健康法の講座を開講し、22年以上続けて実施していました。
Meiji University, Auditorium
第1土曜日は一般の健康法、第2土曜は西哲学購座、第3土曜は医師再教育の講座として、すべて無料で午後1時から3時まで、また質問にも応じ、個人の相談にも応じています。
また第4土曜には本部員による、実習指導を同じ場所で行わせています。
本稿は、この講座の第3土曜日に行われる「医師再教育講座」の講義内容を一部抜粋し、全4回にわたってご紹介しています。
Vol.1をご覧いただく場合は、下記のURLをクリックしてください。
https://minus-chokaz.jp/social/4125/
また本稿は、『土と腸』第8版の第6章に収載してあります。
もしご希望がございましたら、資料請求(無償)ください。
Vol. 1
⚫︎医学は人を騙す技術
Vol.2
⚫︎昔の人は丈夫だった
⚫︎病気の数もふえた
⚫︎医学の簡単化が必要である
Vol.3
⚫︎現代医学は科学ではない
⚫︎医学は健康を研究すべきものである
Vol.4
⚫︎仁術を忘れた現代医学
⚫︎医者は病人である弱者から養われている
⚫︎ヒポクラテスの誓い
歴史をひもとくまでもなく、われわれの祖先は健康であり長寿であった。
武内宿弥(たけのうちのすくね)の齢300年、 五代の天子に仕え、在官244年などという異例の事蹟にはいまは触れない。
こういう昔まで遡らなくても、諸君の祖先は、頭に兜を戴き、身に具足を着け、大刀を帯し、長槍をふるって戦場を馳駆し、大切な生命をかけての合戦をやっていたのだ。
これは、武士階級のことではあるが、武士だけがとくに強豪であったというのではない。
一般庶民階級においても、これに匹敵するだけの強健なる心身の持ち主であったのだ。
近代人は、いな、諸君は、このような重装備で、はたしてどれだけのことができるであろうか。
歩くことすら容易のことではあるまい。
その寿命に至っても、古代は100歳を超えるものはザラにあった。
100歳以上は、ふつうであって、100歳以下は、むしろ短命として取り扱われてきたという証拠がある。
ところが、近代においては、人問の寿命が、だんだん短縮し、人生を50とし、60を還暦とし、70は古来稀なりといい、88は米寿としてこよなきものとして祝い、90を超えれば世の常でない長命として珍重され、本人も大変長生きしたと心得、100歳を超えるものは、寥々辰星(りょうりょうしんせい)ごとしという訳である。
世間では、40歳で老境に入り、50、60で死ぬものは、きわめて多いのが現状である。
病気の数も、昔は少なかった。
俗に四百四病というから、そんなものであったのであろう。
傷寒論に挙げてある病名は大別して六種である。
ところが、現在は研究や診断が微に入り細を穿っているから、病気の種類は移しい数にのぼってきた。
根気のよい学者が数えて、17万6000という。
厚生省の統計に表れただけでも、1千数百の数である。
そのうえ、近ごろでは予防注射といっては、病人をつくり、レントゲンといっては、ピンピンしている人を、瀕死の病人にしてしまう。
それで病人もふえるが、病気の数も日に月にふえていっている。
それというのも、無数の学者は、世界の多くの研究所において、何か珍しい病気はないかと、鵜の目、鷹の目で探しているから、この傾向がまた病気の種類をふやしている。
ニューヨークのイアン・スティーヴンソン博士は『ハーパース・マガジン』に寄稿した「なにゆえに医学は科学でないか」という論文の中で、「いろいろ異なった診断の実数は、この地球上の人間の数に等しいということも忘れている」
“We have forgotten that the actual number of differential diagnoses is no less than the number of people upon this planet.” (Ian Stevenson, M. D.: Why Medicine is not a Science, “Harpers Magazine.”
といっている。
地球上の人間の数に等しいであろう病名に取り組む医学者こそ災難である。
人事ではない、諸君はこのような複雑な現代医学なるものと取り組んでいるのである。
いまから25年前、もっとも偉大な近代医学者の一人、英国のサー・ジェームズ・マッケンジーは、「医学の理性的な処置と、疾病の理解とに対しては、医学の簡単化が必要である」と絶叫している。
医学の簡単化、心ある偉大な医学者は、この点に注目しているが、私は寡聞、いまだ日本のどこの大学でも、この問題を採り上げて、これを研究しているということを聞かない。
それでは、100年河清を待つに等しいであろう。
医学は進歩し、複雑化していっても、人間の健康の増進には、ほとんど効用をなさないであろうことを恐れる。
つまり、諸君の学んでいる、そして応用している現代の医学とはこのようなものである。
であれば、なにゆえに現代医学が、このように無力であって、病気の予防にも治療にも、あまり効用を示さないものであろうか。
これは、われわれの究明すべき重要な課題でなければならない。
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