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知られざる宮中秘話 3 若い婦人と寝小便・合気道

2023.09.01

若い婦人と寝小便

本稿は『西勝造著作集』の第11巻・人生医談より、一部を抜粋して掲載したものです。

 

ある若い会社員風の男がやってきて、もじもじしている。

こういう男に限って、お天気がどうのこうのと改まった挨拶ばかりしていて、肝腎の話題が切り出せないらしい。

 

この男のいうところによると、嫁さんが寝相が悪く、そのうえ寝小便の悪癖があって困るが、治るものでしょうかというのである。

なんでも、婿さんが、夜中に息苦しくて眼をさまして見たら、嫁さんの股が婿さんの顔の上に乗っかっている。

変に冷たいなあと思って見たら寝小便をされていたというのである。

 

これは笑話ではない。

人間生活の事実である。

ほんとうの話であるから、まじめに読んでもらいたい。

諸君がもしその婿さんであったら、諸姉がもしそのお嫁さんであったら、どうするだろうか。

 

そこでわたくしは、外を走って汗をかいて、水を飲むことを奨めた。

最初は夜の一時頃、ゴム足袋でもはいて庭を走る。

庭がせまいならば道路を走る。

これにはちゃんと主人公が付いていてやる。

 

この方法で、2週間もしたら寝小便のほうは出なくなった。

寝相のほうも懸垂器で完全に治ってしまった。

寝小便は水を飲まぬから、しくじるのである。

北白川宮房子内親王

さる宮家に仕えていたお嬢さんにも、この悪習のあるのがあった。

何しろ蒲団がたくさんあるものだからしくじると蒲団を押入れの中に入れて、新しいのと取り替えて寝ている。

ところが、そうしているうちに、その部屋に入るとプーンと匂うようになってきて、妃殿下(北白川宮房子内親王)も悲鳴をあげられて、わたくしに相談をされたのである。

例によって水を飲むこと、そして本人には寝小便のことを言わぬようにすることなどを申し上げておいた。

 

さて妃殿下がどういう裁きをなさるものかと見ていると、

〝あなたは水を飲むのが嫌いでしょう。〞

 

〝嫌いで、どうしても飲めません。

 〝田舎の井戸の水がきたなかったから、どうしても水が飲めないのです。〞

 

〝これからは飲まなければ駄目ですね。

もし飲まないと粗相をすることがありますから。〞

 

そうすると、そのお嬢さんの顔はパッと赤くなった。

そこで毎日外を走って、咽喉が乾いたところで水を飲むようにしたところ、これもやはり治ってしまった。

そしてはじめて自分が寝小便をしていたことを自白したのである。

その後お嫁に行ったようだが…。

 

合気道

都内の牛込に植芝先生の合気道の道場があります。

私はそこの理事をしておるのですが、この合気道というのはいくら敵が向かって来ても、できるだけそれを避けていくというのであります。

これが合気道の極意であります。

しかしいよいよとなれば自由自在に投げ飛ばすことができる。

東久邇宮稔彦王

ちょうど戦争中でありましたが、昭和18年、私がそのことをある高貴の方に申し上げたところ、

〝ひとつ わしをそこへ連れて行ってくれ〞

とおっしゃった。

 

そこで さっそく私は知人の方に牛込の道場までのご案内役を頼みました。

ところが牛込の道場では、殿下、若宮殿下、妃殿下のお三方がおいでになるというので大変な騒ぎです。

今はだいぶ様子が変わりましたが、その頃は大変です。

 

遠くの方から土下座をしてお迎えをする。

私は道場でお待ちしておると、そのうちおいでになる。

それからいよいよ試合が始まるのですが、植芝先生は神殿にお詣りしないで、まず殿下に最敬礼をされる。

植芝先生は五つ紋付の羽織袴といういでたちです。

 

私よりも3つくらい年上で、背は5尺そこそこという低いほうですが銀髯をひるがえし、眼は爛々として輝いておる。

そして講道館何段という猛者がずらりと並んでおる真中に端坐をされた。

H中将が采配をとり、私が説明役です。

殿下が、

〝10人並んでおるが、あのうちどれを一番先に取って投げるか?〞

〝はあ、…〞

とにかく聞こえてはいけないので耳元で小声で申し上げるわけです。

これを翻訳しますと、

〝右から3人目のが一番先に飛びつきます。

そうすると植芝先生は体をかがめて、必ずこちらから2番目のところへぶつからせます。

今度はこちらのが飛鳥のように飛びかかっていくかと思うと、こちらにぶつかる。

まずおよそ1分半ないし3分間で片づきましょう。〞

と私がご説明申し上げておりますものですから、H中将は遠慮して号令をかけずにおられる。

講道館の連中は、植芝のやつをやっつけてしまえというので殺気立っておる。

そのうちにH中将が号令を掛けると、案の定三番目の男が飛鳥のごとく飛んで行ったが、先生はスッと体をかわされ、その腰をもってポンと投げられたので、こっちの端から2人目におるのにぶつかった。

今度はこちらから2番目のが飛び出して先生の頸につかまろうとしたところが、ポンと後ろに飛んで、こっちのやつにぶつかる。

こうして予想の通り試合は終わってしまった。

 

今度は槍を持ったものとの試合です。

後ろから二人、前から一人、槍といってもむろんタンポのついたものです。

これもおたがいに突っつき合って一分半で終わってしまった。

これがつまり合気道なのであります。

 

しかしこれは何ものでもない。

そして剣道でもなければ、柔道でもなければ槍術でもなければ何でもない。

西医学がそうです。

外科でもなければ産婦人科でもなければ、耳鼻咽喉科でもない。

すべてを1と見て、身をかわして細菌の乗り移る余裕を与えないというのを目標にしておる。

だから自ら合気道と一致するところがあるのであります。

 

西勝造は、連日睡眠時間3時間あまりで過ごし、東京都土木技師としての正規の職務のほかに、古今東西の医学や健康法を研究。

医学・宗教・哲学・栄養学・工学など、世界中の7万3000もの文献を読破。

現代医学をはじめ、漢方・鍼灸・ヨガ・アーユルヴェーダ・カイロプラクティック・指圧・呼吸法・冷水浴・乾皮摩擦など、当時世界にあった362種の健康法を自ら実習した末、1927(昭和2)年に西式健康法として一般に公表したものです。

健康な体は、黙って生きています。

その働きは聞こえもしませんし、感じられることもありません。

西式健康法は、「精神的」にも「肉体的」にも最高の状態をつくることを目標としています。

精神面では、迷いがない「悟り」であり、肉体面では「無感」です。

自分の胃や眼、あるいは鼻などがどこにあるのかさえ全く感じない。

そんな人こそが、真に健康な人ということです。

また、健康になる条件として、「体内の酸とアルカリの平衡(中和)を保つ」、「血液循環の等速」、「左右の神経は対称」、「脊柱を正しく整える」があげられています。

西式健康法は、人間の各部とその全体の両方を、解剖学的、生理学的、精神的観点から「全一者」として同時に理解しようとするものです。

 

これを今日の言葉でいえば、「ホリスティック医療」ということになります。

ホリスティック(Holistic)という言葉は、ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(holos)」を語源としています。

そこから派生した言葉には、whole(全体)、heal(癒す)、health(健康)、holy(聖なる)…などがあり、健康(health)という言葉自体が、もともと「全体」に根ざしています。

つまりホリスティック医療とは、簡単にいえば「全体的」という意味ですが、「全体は部分のたんなる寄せ集めではなく、全体で一つの意味を持つ統一的な組織であり有機的である」との認識から生まれた言葉です。

還元主義から脱却してこれからの科学のあり方を模索する科学者たちの間で広く提唱されている世界観です。

西医学健康法は、ホリスティック医療の先駆けとして位置づけられています。

 

…外科医が患者の腹部にメスを入れるのを眺めた。

遺体とはちがって、その傷からは血が流れ出した。

血の流れは患者の心臓が拍動し、肺が呼吸し、血圧が安定していることの証拠だ。

 

腹部を切開するのを手伝っていると、生きている肉体は手袋をはめた手の中で温かく感じた。

すなわち、患者の甲状腺と副腎から、体を温める分泌物が放出されているということだ。

さらに青年の活発な腸はミミズのようにうごめいていた。

まるで草の生えた大地を切り裂き、芝生をかきわけ、活気ある生物が暮らす豊かな土壌をあらわにしようとしているかのようだった。

青年の生気あふれる腸は栄養が適切で、電解質(ミネラル)のバランスがとれ、腎臓と肝臓の機能が正常であることを示していた。

 

生きた患者の体を開き、活動している臓器を目で見て、手で触れることで、ホルマリン液で保存された遺体の組織からはけっして伝わってこないことがはっきりわかった。

わたしたちの臓器すべてが、相互依存という関係の中で密接にからみあっているということだ。

解剖台の遺体は、生きている臓器が互いにどう機能するのかは教えてくれなかった。

剥製標本や押し花にした木の花が、同じ生息地のさまざまな種について詳しいことをほとんど語らないのと同じように。

生きている患者の場合、わたしが観察すること全てが、離れた臓器が協力しあっていることを示していた。

別々に学んできた「臓器」が、ついにひとつの「生命体」に統合されたのだった 。

 

ジョナサン・ライスマン (Jonathan Reisman

米国の内科・小児科医。『未知なる人体の旅・自然界と体の不思議な関係』(羽田詩津子 翻訳 NHK出版)より

 

 

書籍のご紹介

弊社のお客さまは、西医学健康法に親しんだ方が多くいらっしゃいますが、とくに若い世代においては「はじめて聞いた」という方がほとんどではないでしょうか。

西医学健康法に関しては、渡辺正先生(北海道大学医学部卒)や甲田光雄先生(大阪大学医学部卒)、樫尾太郎先生(東京大学医学部卒)、不食の人・森美智代さん(森鍼灸院院長)による著作が多数刊行されておりますが、これを現代におきかえて分かりやすく解説したものが『ガンは予防できる 新・西医学入門』石井文理 監修 (悠光堂)です。

 

 

著者紹介

宮橋國臣(みやはし くにおみ)

1948年奈良県御所市生まれ。1970年、東京水産大学(現東京海洋大学)卒業 (2020年は卒後50年の節目となる)。2年後、奈良県内の公立中学校教員となり、1985年から県立高校の理科教員となる。2010年退職し、関西大学の人権問題研究室の委嘱研究員となる。その後、マンチェスター大学、アジア太平洋研究所の研究員を歴任。現在は理科教員不足により公立中学校常勤講師として現楊復帰。

監修者紹介

石井文理(いしい ふみまさ)

1950年福岡県生まれ。久留米大学医学部卒業後、久留米大学病院、大牟田平木病院、サンスター株式会社、新屋敷病院、甘木中央病院勤務を経て、92年 6月愛康内科医院開業。患者さんの苦しみや辛さを理解し、患者さんの立楊に立って、現代医学と東洋医学を総合的に活用し、健康になるために本当に必要なものは何かを熟知した上で、患者さんの治療に全力を尽くしている。

 

著者は、西勝造の直弟子である京都の小椋蔓代さんに10年間師事した経験を持つ西式1級司教の宮橋國臣(みやはし くにおみ)さんです。

弊社のお客さまでもあります。

本書には「ガン発症の因果関係」を新たに解き明かした興味深い論説も展開されており、読み応えがあります。

現代の医学・医療で病人を減らすことは叶いません。

是非とも「健康医学」の理論・メソッドを身につけていただきたいと思います。

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