社会
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人間が、人間らしく生きる環境
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人間が、人間らしく生きる環境
2023.03.17
いきなり私事で恐縮ですが … 筆者はかつて、長年にわたり東京で仕事をしていました。
そしてそれは、かなり不健康な食生活をともなうものでした。
当時は仕事の関係で、年に4〜5回、主にヨーロッパに出張していました。
1回の出張が約1ヶ月間、割と長期でしたから、1年の半分近くはヨーロッパで過ごすような生活でした。
弊社の製造責任者もアメリカやオランダなどで勤務していた経験がありますが、住むのと出張ベースでは食生活が大きく異なります。
ヨーロッパに滞在中は、少なくとも1日2回、ほぼ毎日が外食です。
必然的に地元企業の人たちとの会食や現地の友人などと、あっちこっち食べ歩くような食生活になります。
今思えば … 当時は、健康医学の存在すら知らず、現代医学が全てだと信じる未熟者だったことは認めざるを得ません…。
ここからのお話しは、ちょっと自慢話しのようにも聞こえるかもしれませんが、そういうお話しではありませんのでご承知おきください💦
Le Pré Catelan / Route de la Grande Cascade, 75000 Paris
パリ16区・ブローニュの森のど真ん中に佇む3ツ星レストラン、Le Pré Catelan(ル・プレ・カトラン)。
ルイ16世の別荘をそのまま利用したという建物は、周囲の森を望む開放感のある優雅なつくりです。
もちろん、厳選された食材とソースのマッチング、バターの味わいは絶品です。
かつてパリの知識人たちが集い、サルトルが市民と議論を交わし、今なお褪せない魅力を宿すパリ・サンジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-prés)のCafé de Frole(カフェ・ド・フロール)。
同じくサンジェルマンの代名詞でピカソが愛したLes Deux Magots(カフェ、レ・ドゥー・マゴ)、パリのカフェ文化を象徴する歴史的なカフェです。
ついつい、日に何杯ものエスプレッソ… 。
イタリア最高峰、ワインの品揃えでは世界有数のEnoteca Pinchiorri(エノテカ・ピンキオーリ・3ッ星・フィレンツェ)。
高タンパク、高脂肪、高糖質に加え、サシカイア(SASSICAIA)やソライア(SOLAIA)、オルネライア(LE SERRE NUOVE DELL’ORNELLAIA)といったスーパータスカン、イタリア高級ワイン(アルコール)を飲み放題…。
中には地元企業の招きで、由緒あるシャトーを貸し切り、そこに料理人を手配しての晩餐会。
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノなど何種類ものワインの栓が次から次へと抜かれ、そのワインに合わせた料理が供される…といった映画のような現実離れしたことも…。
周囲を葡萄畑に囲まれた小高い丘にあるこの美しいシャトーは、芸術や文化など多方面でも知られ、700年以上のワイン造りの歴史をもつ名家Frescobaldi(フレスコバルディ)家のものです。
フィレンツェのこうした地域は、改築以外、新規の建築が禁止されていますから、歴史的な自然景観が保たれています。
このシャトー周辺には、電灯など人工的な灯りが一つもありません。
夜になると一帯は真っ暗で、星明かりしか見えません。
まさに、絶景です。
以前には、英国・国王チャールズ3世もプライベートで訪れたことがあるそうです。
またフィレンツェには、ビステッカ・フィオレンティーナが逸品のTrattoria 4 Leoni(トラットリア クワトロ レオーニ Via dei Vellutini 1 rosso・Piazza della Passera)など地元の人達に愛される名店がいくつもあります。
確かめたわけではありませんが、おそらくここの牛肉は、ファクトリーファームではなくて、放牧で草を食べて育てられた健康的な牛のものだと思います。
フィレンツェを訪れる機会があれば、是非…とはいっても、ほどほどに。
“Almanach des Gourmands” a Alexandre‐Barthazar‐Laurent Grimod de la Reynière
たしかに美味、歴史を身に纏った文化的雰囲気は最高です。
しかし一見良さそうに見えるこうした食生活は、グリモ・ド・ラ・レニエールやブリア=サヴァランに端を発する、まるで絵に描いたような「飽食」の世界、ルイジ・コルナロの若い頃のような不健康さです。
※ルイジ・コルナロにつきましては、現在『三保通信』で連載中です。ご希望の方は、是非ご請求ください。
当時、よくイタリアの街をぶらつきながら思ったのは、「イタリアの若い女の子たちはキレイでスタイルもいいのに、何故、歳をとるごとに肥満体型になっていくのだろう?」でした。
パスタは美味しいですが、主食が小麦糖質では、仕方ないか!? なんて思ったりもします。
自分のことは棚に上げて…。
若い頃はそんなものかもしれませんが、年齢を重ねるごとに「これは健康にとってどうなんだ?」と吟味せざるを得なくなってきます。
中年とは、「われわれがどれほど今まで生きてきたか立ち止まって数える時がやってきて、どれくらいこれから先、生きられるかを数える時に始まる」と言われます。
またギリシャ人は「吟味されない人生は生きるに値しない」と主張します。
人間として、わたしたちは人生が展開するにつれて変化する事実を吟味せざるを得ないのです…。
さて、前置きが長くなりましたが、沖縄のお話しです。
沖縄はかつて世界で最も健康長寿の地域として知られていました。
沖縄には、何人もの研究者が訪れていますが、アメリカ人ジャーナリストのダン・ビュイトナーもその一人で、彼の著書『The Blue Zones(邦訳『ブルーゾーン 世界の100歳人(センテナリアン)に学ぶ健康と長寿のルール』で紹介されています。
The Blue zones
2006年に行われた調査によると、沖縄の100歳以上の高齢者(センテナリアン)の数は、10万人あたり54.4名にものぼることが報告されており、これは、他の先進諸国の4-5倍の数に相当します。[1]
日本の本州におけるセンテナリアンの数は、10万人あたり36.8名で、同様にイタリアでは26.8名、フランスでは25.8名、イギリスでは20.3名、カナダでは17.4名、アメリカでは17.3名、ドイツでは15.1名、およびロシアでは3.8名となっています。
以前のブログ記事(オートファジー)でも取り上げましたが、沖縄のセンテナリアンを対象にした有名な沖縄百寿者研究(1970年に鈴木信・琉球大学名誉教授が開始し、その後、医師の兄弟であるブラッドリー・ウィルコックスとクレイグ・ウィルコックスが加わった)によれば、沖縄のセンテナリアンの特徴は、単に長生きというだけでなく、死に至るような病に罹っている人が少ないということです。
この地域では乳がんは稀にしかないため、マンモグラフィ検診は定期的に必要なく、高齢の男性が前立腺がんを話題にしたり、心配したりすることもほとんどないということです。[2]
彼らのうちの3分の2が、97歳頃まで自立した生活ができています。
1955年に行われた調査によると、沖縄に住む60歳以上の高齢者の全死亡率は、日本の他の地域のおよそ半分程度であると推定されています。[3]
アメリカの女性に比べると、沖縄の女性には以下のような特徴がみられるといいます。
・心血管系疾患による死亡率が12分の1程度。
・乳がん及び結腸がんによる死亡率がそれぞれ3分の1、6分の1程度。
同じく、アメリカの男性に比べると、沖縄の男性には以下のような特徴がみられます。
・心臓発作による死亡率が6分の1程度。
・前立腺がんによる死亡率が7分の1程度。
第2次世界大戦後の1950年に、アメリカ人研究者が記した食事記録によると、沖縄に住む人の平均的なエネルギー摂取量は1日あたり1,785kcalで、これは他の地域に住む日本人が摂取する2,070kcalに比べると14%ほど低く、また同時期(1950年代)の平均的なアメリカ人の3,100kcalと比べても、実に43%も低い値でした。[4・5]
タンパク質摂取量も、日本の他の地域の人たちやアメリカ人に比べて少なく、1日平均で39gほどで、総エネルギー摂取量のうち、タンパク質が占める割合はわずか9%でした。[6]
一方、日本の本州では、タンパク質の平均摂取量は68g/日で、アメリカでは90g/日で総エネルギー摂取量の13%がタンパク質由来です。
沖縄の住人のこのような食事は、現在人気を博している「高タンパク質・低炭水化物」のパレオダイエットとは真逆のものとなっています。
また、タンパク質の供給源も大きく異なっています。
沖縄の住人は、豆類、全粒穀物および魚類をよく摂取し、そこからタンパク質を得ていたのに対して、アメリカ人のタンパク質の供給源は、主に肉類、卵および乳製品です。
沖縄における動物性食品の摂取量は、1日平均でわずか19gほどで、そのうち15gが魚類です。
第2次世界大戦の末期にアメリカ軍が上陸する前まで、沖縄の住人の主食はサッマイモで、1日のエネルギー摂取量の約半分を占めていました。
紅芋もしくは黄肉色サツマイモには、ビタミンA、ビタミンC、ビタミンB6、マンガンおよびアントシアニン(プルーベリーの濃い赤紫色のもととなる色素)などの抗酸化物質が豊富に含まれているのです。
日本のその他の地域では、エネルギー摂取量の78%を穀物、特に米飯から得ています。
沖縄県産紅芋
2009年に、長年にわたって沖縄の超高齢者を調査しているクレイグ・ウイルコックス(Craig Willcox)教授からの招待を受けて、この平和で素晴らしい島へと向かったのは、栄養学・身体運動学及び健康長寿学に関する研究医であり、この分野の世界的権威であるルイージ・フォンタナ博士です。
彼はこの沖縄訪問時のことを次のように綴っています。[7]
ウイルコックス教授と武田英二教授とともに大宜味(おおぎみ)村を訪れ、百寿者の方々に直接会って、彼らの食生活や生活様式について話を伺った。
彼らから聞いた話は以下の通りである;
まず、食事は毎回、豆腐と海苔が入った味噌汁から始まり、大きな畑(どの家も裏庭に大きな畑をもっている)から採ってきた葉菜類、キャベツ、タマネギ、ゴーヤ(ニガウリ)、ニンジン、ダイコン、カボチャ、ウコンなどが食卓にたくさん並べられる。
彼らに魚をたくさん食べているか尋ねたところ、答えは意外にも「いいえ」というものであった。
島の周りを海で囲まれてはいるものの、魚を食べるのは週に1回もしくは2回程度とのことであった。
たんぱく質は主に豆類および豆腐や味噌などの大豆製品から摂っていた。
また、豚肉は贅沢なおかずであり、年に数回、少量摂る程度であった。
デザートは、通常、地元で採れる果物であり、それと一緒にジャスミンティーを飲んでいるということであった。
残念なことに、このような状況にあった沖縄でも、ここ数十年の間にアメリカ軍(依然として沖縄に大きな基地を有している)とともに、ファストフードのチェーン店がいくつも到来したことで、食習慣が欧米化されてしまい、沖縄の人々の体重が大きく増加してしまった。
体脂肪量を示す指標の1つである体格指数(Body Mass Index: BMI、日本では25以上で「肥満」と判定される)の平均値も、21から24kg/㎡まで増加している。
このような体重の増加にともない、心血管系疾患およびがんによる死亡率も急増してしまっている。[8]
しかしながら、食事だけが、沖縄における百寿者の生活様式の中で際立った唯一の特徴というわけではない。
沖縄は、1年を通して温暖で天候もよいため、この素晴らしい島に住む人々は、多くの時間を屋外で歩いたり仕事をしたりして過ごしている。
彼らは、母なる地球からの恵みを育てて、収穫することが健康にとってもっとも重要なものだと信じている。
沖縄の高齢者は、少なくとも1日に3回は自分たちの庭・畑に行き、植物が育っているかどうかを観るのを楽しみにしている。
美しいほどに幸せに、そして穏やかに過ごしている95歳の沖縄の女性を、私はいまだに覚えている。
彼女は、自宅の裏庭にある畑を完璧な状態で管理し、そこで作物を育て、自給自足しながら、独りで暮らしていた。畑の隅のほうでは、パイナップル、マンゴーそしてパパイヤなどの豊かな作物が森に溶け込み、たくさんの鳥が嬉しそうに歌っていた。
私が面会した沖縄の方々の多くは、民族舞踊の稽古に定期的に参加したり、空手や古武道(ともに沖縄発祥のもの)の練習を行なったりしていた。
空手は、彼らにとっては単なる運動というだけではなく、芸術でもあり、肉体、さらには心と精神を鍛えるために行なわれている。
松濤館流空手の開祖である船越義珍(ぎちん)師範(沖縄の県庁所在地である那覇の出身)は、以下のことを強く信じていた;
“ 姿をありのままに映し出す、綺麗な鏡の表面のように、空手の弟子は、利己的で意地の悪い考えを捨て、自らを清めて、浄化させなければならない。
なぜなら、清らかな心と道徳心によってのみ、人生の意味を理解し、この素晴らしい星を旅するあいだに出会うすべてのことを吸収できるようになるためである “
精神的で崇高な生活は、沖縄の人々の日常生活の重要な側面を表している。
どの家にも小さな祭壇があり、先祖に対して毎朝祈り、感謝の気持ちを捧げる。
沖縄在住の心臓病・老年病専門医である鈴木信教授は、「このような祈りによって、ストレスが軽減し、心が落ち着く」と述べている。
沖縄の住人は、とても穏やかで、親しみやすい人たちであり、悠々自適な生活を送っている。
彼らの口癖の1つに「なんくるないさ」というものがあり、「心配する必要はない。なんとかなる」ということを意味する。[9]
どんなことが起こったとしても、それは人生において何らかの(ポジテイプな)意味をもつものであり、自分たちをより強く、より賢く成長させてくれるものだと、彼らは理解している。
おそらく、このような態度・考え方は、東洋の多くの国で何世紀にもわたって酸成されてきた哲学的な思想によるものであろう。
『易経』は、沖縄の文化に大きな影響を与えていると考えられているが、そこには以下のように記されている;
“ 君子(人格者)は、関心を自分自身に向け、それにより、自分自身の人格・性格を形作る。
困難や障害に出会うと、自分自身を省みる。
才能の劣る人は、他人に責任を負わせようとしたり、自分の運命を嘆いたりするのに対して、君子は、過ちの原因は自分自身の中にあると考える。
このような内省を行なうことで、外的な障害が、内的な豊かさを醸成するための教育の機会にもなりうる “ [10]
沖縄では、社会的なつながりを強く感じることができる。
家族がもっとも大事なものであり、高齢者は尊敬され、手厚い保護を受ける。
沖縄には、「私たちにとって高齢者は宝」という意味をもつ「とうすいやたから」という言葉もある。
一方、高齢者はその見返りに、思いやりと愛情をもって子どもたちの世話をする。
このような感覚をよく表す沖縄のことわざに以下のようなものがある:「しきの一ちゅい し一じーしる くらする」。
これは、「世間は互いに助け合ってこそ暮らすものだ」ということを意味する。
高齢者にとって、自分の子ども、孫、そして曾孫を育て、世話をすることは、人生の中でもっともやりがいのある経験なのである。
多くの欧米諸国とは異なるこのような絆の強い家族関係および社会生活は、高齢者になっても社会的な活動を活発に行なうことを可能にしている。
独居や孤立した生活によって健康は損なわれる。
孤独な環境は、タバコを1日に15本吸うのと同じくらい身体にとって悪いものであるということを報告している研究もある。[11]
沖縄本島の北部に位置する大宜味村の海岸には記念碑があり、そこには以下のような文章が刻まれている;
“ 80(歳)はサラワラビ(童)、90(歳)となって迎えに来たら、100(歳)まで待てと追い返せ。
我らは老いてますます意気盛んなり、老いては子に甘えるな “
ヨーロッパの食文化は、それはそれで素晴らしいものですが、こと「健康」となると、自身の未熟さを省みざるを得ません。
戦後、日本人の「豊かさ観」は、欧米への憧れのようでもあり、実は「真実の豊かさ」はもっと身近にあったのだということに気づかされます。
弊社のお客さまは決して多くはありませんが、沖縄県のお客さまの割合は比較的多く、八重山諸島、伊良部島や西表島に暮らす方々もいらっしゃいます。
真の豊かさを享受する方々の「健康意識」の高さに感心させられます。
病気について教える医学校はたくさんありますが、「健康を教える学校」はありません。
人間の健康は、経済的、身体的なことだけでは叶わず、「精神的な気高さ、豊かさがともなって初めて健康が維持できる」ことを彼らから学ばざるを得ないでしょう。
Arthur Schopenhauer
1851年、ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーが63歳になった頃に6年の歳月をかけて刊行した『余録と補遺』(A・W・ハイン書店・全二巻)という著作に、「人生の知恵のためのアフォリズム(Aphorismen zur Lebensweisheit)」という彼の幸福論が収録されています。
著書の中で、彼は人間を幸福にする「三つの財宝」を以下のように規定しています。
⑴「その人は何者であるか」すなわち、人柄や個性、人間性などの内面的性質が第一の財宝とし、そこには健康や力、美、気質、徳性、知性、そしてそれらを磨いていくことも含まれます。
⑵「その人は何を持っているか」これは、金銭や土地といった財産、その人が外面的に所有するものです。
⑶「その人はいかなる印象を与えるか」これは端的に他者からの評価であり、名誉や地位、名声などです。
ショーペンハウアーは、これらの3つを財宝としていますが、一方で⑵と⑶は「〜が欲しい」、「〜されたい」という欲望の対象で、どれほど多く手に入れても決して満足できないもので、何かを手に入れさえすれば幸福になれという考えは、取り去るべき臆見(憶測・想像)であるとしています。
欲望にゴールはない。
したがって、⑵と⑶の財宝よりも⑴の財宝の方に価値があるとして、欲望を節制し、制御できるような、穏やかな内面的性質を備えている人こそが幸福な人生を送ることができる、としているのです。
わかりやすいのは、心身の健康です。
これがないと、どれだけ多くの物質的財産を持っていても、そもそも楽しんだり快楽を感じたりすることさえできず、幸福だとは言えないからです。
「欲望の満足=快楽=幸福」という臆見を抱え込んでしまっているがために、わたしたち人間はむしろ苦しんでいる。
気高い性格をした者は、世間が羨ましがるような莫大な財産や高い地位など持っていなくても、自分が自分であるだけで満ち足りていて、誇りを失うことがない、ショペンハウアーはそう説いています。
まるで沖縄の人たちのようですね。
〝 富は海の水に似ている。飲めば飲むほど、のどが乾いてくる。それは名声に関しても同じである 〞
“Wealth is like sea-water; the more we drink, the thirstier we become; and the same is true of fame.”
アルトゥール・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)
追伸
不健康な食生活にどっぷりと浸かっていた筆者の現在は、1日2食、主菜はサラダボウル、肉類はほとんど食べない素食です。
しかし、ワインだけは … 。
個人の感想ですが、不思議なことに、動物性タンパク質を食事から減らすと、猛烈な食欲はなくなってきます。
富士山本宮浅間大社の近くに湧く「富士山の伏流水」を毎日の飲み水や料理に使っています。
ちなみに、富士山に降った雨は54年の歳月をかけて浄化され、ミネラルを豊富に含んだ伏流水となって地上に戻ってきます。
また、毎日、この生水でスイマグを服用し、お腹は快腸。
もちろん、硬枕(木枕)とベッドに板を載せた平牀で寝んでいます。
健康医学に出会うことができたのは、幸運だったと言うほかありません。
References & Foot note