社会

Social

人間が、人間らしく生きる環境

健康医学は、広大な地下水脈のように人々の健康を支える

2022.11.11

実は、あの人も!

 

下記に列挙した方々をご存知でしょうか?

若い世代の方には、あまり聞き覚えがないかもしれませんが、大正から昭和の時代に活躍された、皇族、政官界、経済界、民間の著名人です。

実はこれらの方々には、ある共通点があります。

ご興味のある方は、じっくりとご覧ください。

さて、なんでしょうか?

※以下、敬称略

東久邇宮稔彦王

賀陽宮 北白川宮 東久邇宮 竹田宮 東伏見宮 李王殿下

 

三木武夫

高橋是清(内閣総理大臣・蔵相)斎藤実(内閣総理大臣)若月禮次郎(内閣総理大臣)芦田均(内閣総理大臣)三木武夫(内閣総理大臣)岡崎勝男(外相)石井光次郎(副総理)松永東(文相)永井柳太郎(拓務相)中島久萬吉(商工相)山本達雄(内務大臣)井上準之助(蔵相)園田直(外相)天光光(園田直令夫人)増原恵吉(防衛庁長官)佐藤潤象(衆議院議員)高津正道(衆議院議員)猪又浩三(衆議院議員)井出一太郎(衆議院議員)岩本信行(衆議院議員)鈴木憲一(参議院議員)鎌田憲夫(貴族院議員)水野甚次郎(貴族院議員・呉市長)東龍太郎(東京都知事)縣忍(名古屋市長)武藤嘉門(岐阜市長)西岡竹次郎(長崎県知事)佐藤勝也(長崎県知事)金子正則(香川県知事)田昌(大蔵省事務次官)

石原莞爾

石原莞爾(陸軍中将)畑俊六(元帥)宇垣一成(陸軍大将)松田巻平(陸軍中将)斎藤半六(海軍中将)工藤豪吉(陸軍少将)仲野好雄(大本営参謀)

愛新覚羅溥儀(中国清朝最後の皇帝・ラストエンペラー)

五島慶太

橋本圭三郎(日本石油社長)田中次郎(日本石油専務取締役)梶原仲治(勧業銀行総裁)石井健吾(第一銀行副頭取)阪本治郎(帝国製麻専務取締役)諸井恒平(秩父洋灰社長)成瀬隆蔵(三井合名重役)中川正左(帝国鉄道協会副会長・東京帝大講師)長満欽司(東京株式取引所常務理事)日向利兵衛(東洋海上火災常務)早川徳次(東京地下鉄道専務)中野金次郎(国際通運社長)伊藤忠兵衛(伊藤忠商事創業者)二代伊藤忠兵衛(伊藤忠商事・丸紅社長)越後正一(伊藤忠商事社長)柳田誠二郎(日本航空社長)品川主計(読売巨人軍社長)前田久吉(東京タワー社長)五島慶太(東急電鉄社長・創業者)後藤佐彦(江若鉄道社長)後藤康男(安田火災海上保険社長)立石一真(立石電機社長・現オムロン創業者)田代茂樹(東洋レーヨン・現東レ会長)佐藤和三郎(合同証券社長)田中博(都ホテル社長)住野繁郎(オートバックス会長)岡義順(日本弁護士会会長)野澤源次郎(野澤組社長)

植芝盛平

植芝盛平(合気道開祖)高田隣徳(細川家典医)カイザー田中(阪神タイガース監督)蜂須賀正韶(侯爵)高倉篤磨(伊勢皇大神宮司)青木徹二(法学博士)国沢新兵衛(工学博士・日本通運初代社長)倉恒匡徳(中村学園大学学長)樫尾一(栄養大学学長)三輪谷俊夫(大阪大学医学部名誉教授)山口雄三(大阪府立大学名誉教授)藤永保夫(龍谷大学名誉教授)杉尾敏明(阪南大学教授)吉田亨二(早稲田大学理工学部教授)

横山大観

坪内逍遥(作家)横山大観(画家)中村武羅夫(編集者・小説家・評論家)平塚雷鳥(評論家)田中宗太郎(ジャーナリスト)早乙女勝元(作家)

森繁久弥

大河内伝次郎(俳優)阪東妻三郎(俳優)実川延若(俳優)左卜全(俳優)中村扇雀(俳優)森律子(女優)田中絹代(女優)浜口康之助(作詞・作曲家)小森和子(映画評論家)岡田真澄(俳優)森繁久彌(俳優)ヨネヤマママコ(パントマイム)他多数

これくらいにしておきましょう…。

弊社のお客さまは、もうお分かりですよね⁉︎

その共通点とは、「西医学・健康法」の熱心な実践者で、支持者だったということです。

あの人が!という人もいると思います。

健康法はどちらかというとコッソリと一人でするものですから、週刊誌などのメディアが有名人の健康法などを記事にしない限り、あまり伝わってこないものです。

皇族の方々も、あの大政治家も、マッカーサーが恐れたあの軍略の天才も、日本を代表する大企業の創業者たちも、日本画壇を代表するあの巨匠も、そして「バラが咲いた」を作詞作曲したあの人や小森のオバチャマ、森繁さん、ダンディな岡田真澄さん、パントマイムのあの方まで……!

実は本当に多くの方々が、目に見えない「地下水脈」のように、この健康法を実践していたのです。

しかし、医療技術が進歩した今日の状況はどうでしょうか?

病人は増えつづけています。

そして、多くの人が同じ道を辿って亡くなっていくのはなぜなのでしょうか?

そのような社会事情から近年、弊社はこの健康法の要点を取り出して「マイナス腸活・7つの習慣」と呼び、ライフスタイルの改善を促す啓蒙活動に取り組んでおります。

皆様のご協力のおかげで、書籍や冊子などをお読みいただける方も増え、少しづつ理解も進み、1日2食習慣の方が増えてきているように感じています。

ということで本稿は、西医学・健康法ってなに?という疑問を持っておられる新しいお客さまに、なかなか知ることがない当時の宮中でのエピソードなどを交えてご紹介してまいります。

 

肝心なのは病気の研究ではなくて、「健康」の研究

現代の医学一辺倒では、真に健康で豊かな社会を築くのは困難です。

今日、社会に蔓延している病気、つまり「生活習慣病」はクスリでは治りません。

なぜなのか?

それは、原因と結果(問題)を履き違えているからです。

 

夢や目標に対して存在する、現状とのギャップを「問題(結果)」と言います。

この問題を形成してる事象が「原因」です。

原因の解消のために設定されるのが「課題」です。

課題を設定して実行・改善し、問題を形成している原因を解消すれば、夢や目標に近づくことができます。

では、わたしたちの人生の目標が、「生涯を健康に生き、楽しみ、天寿を全うすること」で、現状が「不健康な状態」だとすれば、その原因は何でしょうか?

臓器や器官の障害(病気)でしょうか?

違いますよね、それは結果(=問題)であって原因ではありません。

生活習慣病の原因は文字通り「ライフスタイル」にあるのです。

現代の医学は、「問題=病気」にアプローチしていますが、問題の解決は「原因」にアプローチしない限り実現しません。

現代の医学が「病気の研究」であるのに対して、健康医学は、「人間本来の健康な状態」を科学的に研究し、その「健康な状態を維持する(病気にならない)」、または「病気から健康な状態に戻す」ことを本旨としています。

ですから、自ずと「自然療法」になります。

人間とは、精密工学でつくられた端正な逸品ではなく、動物であり、生物であり、自然の一部だからです。

大自然は、「人間の進化」に興味などありません。

人間=生物が、自然に適応(進化)しているだけなのです。

自然に意思などなく、自然は自然のままで、だからこそ自然なのです。

この世界を支配しているのは「自然」です。

およそ6億年の間に誕生した生物の99.9%が、絶滅したと考えられています。

つまり、常に変化する自然に適応できなかったのです。

「自然である」とは何か?

これが、健康医学研究の真髄です。

 

西医学・健康法は、基本的に「クスリ」や「注射」などを用いません。

唯一の例外が、スイマグです。

スイマグは、必須ミネラルである天然のマグネシウムを原料とし、化学合成剤を一切含まず、人体に直接作用しない自然良能の医薬品です。

ですから、腎疾患を患っていない限り副作用はありません。

ちなみにスイマグは、人生の終幕を迎えるその瞬間まで「美しく生きたいと願う人専用」に開発された製品です。

 

試してみてください。

万が一、手足を負傷したとき、血が飛ばないように包帯をして、頭上高く挙げて微振動すれば血は止まり治癒します。

その間、消毒も縫合も必要ありません。

人体には、自然治癒力が備わっているのです。

つまり、科学の力をかりて解剖学的、生理学的、栄養学的、精神的観点から「全一者(ホリスティック)」として同時に理解し、自然治癒力を最大化するのが西医学・健康法です。

 

西医学・健康法は、西勝造(工学博士)の膨大な科学研究によって、世界で初めて体系化された健康医学(ホリスティック医学)の先駆けです。

中国の内蒙古自治区や遼寧省などでは、西洋医学、中国医学(漢方)とともに公認の医学として認められています。

また、西勝造は大正中期に「近い将来、人の移動と現代食が大渋滞を引き起こし、人々と社会を不健康にする」と予測し、東京都の都市交通の地下鉄化と弊社の製品(スイマグ)を日本で初めて実現させた人でもあります。

そのようなことから、「日本の地下鉄の生みの親」「便秘研究の大家」とも呼ばれています。

ちなみに、西医学・健康法の熱心な実践者でもあった早川徳次は、「日本地下鉄の父」と呼ばれていますよね。

九州大学医学部は、この健康医学を「新方式の医学」と呼び、昭和24年秋の臨時国会では、この「新方式の医学」の研究を促す国会質問(「国民厚生並びに国民経済に関する質問」)が衆議院の井出一太郎議員、並びに参議院の鈴木憲一議員により2度にわたり行われ、政府は研究を行う旨の答弁をしています。

しかし、無薬無刀の「新方式の医学」では利益をあげられない医師や製薬メーカーなどの圧力によって頓挫することになります。

近年、巨大なビジネスとなった医産複合体の影響力は、いとも簡単に政府(あるいは政治家・役人)やマスメディアを動かす力があります。

ですから、西勝造やこの健康医学がマスメディアで取り上げられることはありません。

本来、医学の価値は、国が公認するとか認定するとかにあるのではなく、「疾病が治り、健康を保てるかどうかが基準でなくてはならない」と筆者は考えておりますが、いかがでしょうか?

当時、実業之日本社が西式健康法を実際に実践していた名士の方々を取材したレビューの中から一部を抜粋してご紹介いたします。

ご興味のある方は、下記のURLをクリックしてご覧ください。

https://minus-chokaz.jp/social/2254/

 

ベールに包まれた、知られざる「宮中」でのお話し

さて、ここからはなかなか耳にすることがない、「宮中」でのお話しです。

弊社の冊子『土と腸』の内容と重複するところもございますが、より当時の情景をイメージして頂くために、内容をすこし厚くして掲載させていただきます。

戦前は宮家がたくさんあり、皇族方も多かったのですが、宮家への出入りは今日よりも厳重でした。

昭和三、四年頃、一木宮内大臣・関屋宮内次官の時のこと、宮内事務官が関屋次官の名刺を持って、西医学健康法を宮中へとり入れることについて、西勝造のもとへ相談にみえたのがはじまりです。

このときの宮内省による身辺調査は、相当慎重に、かつ念入りに行われたようです。

宮家にはそれぞれ御典医といいますか侍医がついていて、それもドイツ医学一辺倒の現代医学の東大などの「名医」たちがとりまいていました。

その影響か、昭和天皇の母上にあたる貞明皇太后は「国の認定した医学医療以外は行わない」とはっきりおっしゃっていたそうです。

ご自身がおっしゃったかどうかは不明ですが……。

そうした四面楚歌のような状況でも、当時の宮内省からの依頼で西勝造は、賀陽宮、北白川宮、東久邇宮、竹田宮、東伏見宮、それに日韓併合当時の李王殿下夫妻などに直接指導され、宮家の方々は、大変ご熱心に西医学・健康法を実践されていたのです。

 

北白川宮房子内親王

北白川宮ご夫妻は、大正12年4月1日、遊学中のフランス、パリで自動車事故に遭われ、成久殿下は不幸なことに亡くなられました。

同乗されていた北白川宮房子さまは、足に重傷を負い、1年間パリの病院で治療を受けたのですが、一方の御御足は10センチ程も短くなり、その上膝が曲がらなくなってしまいました。

北白川宮房子内親王

現代医学の医師たちが見放したため、西勝造にお声がかかりました。

勝造は松葉杖にぶら下げて左右の足の長さを揃える療法を施し、毛管運動や断食療法を行なった結果、膝は曲げて座れるようになり、松葉杖もいらなくなって治癒したのです。

その後、北白川宮房子さまは、ぶり返さないよう細々とした注意をお尋ねになり、健康法を励行されたために完全に健康を回復され、伊勢神宮祭主、神社本庁総裁などの要職を務められました。

84歳で老衰のため死去されるまで、熱心に西式健康法をつづけられたということです。

 

東久邇宮稔彦王

東久邇宮稔彦(なるひこ)さまは、終戦時に皇族内閣を組閣され、終戦処理にあたられるなど歴史の一頁にその名を刻まれた方ですが、戦争中の防衛司令官当時、座骨神経痛を患ってしまいました。

しかも間の悪い事に翌日は、馬でお出ましの予定となっていたのです。

TOKYO, JAPAN – AUGUST 17: Prince Naruhiko Higashikuni, or Naruhiko Higashikuninomiya (front) and his cabinet members pose for photographs after the Imperial investiture at the Imperial Palace on August 17, 1945 in Tokyo, Japan. Higashikuni (1887-1990) was the 43rd Prime Minister of Japan. (Photo by The Asahi Shimbun via Getty Images)

侍医をはじめ現代医学の医師を動員しても治らず、上を下への大騒ぎのあげく、勝造に依頼がきます。

それは東久邇宮さまが名古屋師団長時代、落馬されて、現代医学の医師が治せなかったのを勝造が治療した経緯があったからです。

今度も是非にということで勝造が出向きますと、凄い軍人の連中がなかなか通してくれません。

「誰か?」

「殿下のお腰を治しに参りました」

「フン、あんまか」

少し廊下を進むとまた、

「誰か?」

と問うといった有様です。

ようやく奥の院にたどり着き、さっそく治療にとりかかったのですが、侍医長以下数名の医師などが見守っていました。

その前で松葉杖を取り寄せて、殿下を松葉杖にかからせました。

「殿下、どうでもなれというお気持ちでズシンとお尻を下げなければダメです」

「大丈夫かね」

と、不安そうに言われるのと同時に勝造が身体を動かし、ズーンと腰を落としました。

「これで歩けますよ」

「うん、どうもない。おい、お前たちは判ったか。西の健康法を研究しろ」

と、いならぶ名医たちを叱責されたものです。

翌日、乗馬してお出ましになりましたが何ともなく、いっぺんで治られてしまわれたのです。

それからというもの、実に西式健康法に熱心になられ、平成2年、102歳の天寿を全うされたのです。

 

李王殿下ご夫妻

さて、李王殿下ご夫妻ですが、1910年の日韓併合によって数奇な運命をたどった李王家につきましては『朝鮮王朝最後の皇太子妃』(本田節子著・文藝春秋社)に詳しく描かれています。

李王殿下ご夫妻

李王殿下ご夫妻には、お子さんがありませんでした。

流産や生後数ヶ月で子を亡くすなどしたということで、

「あなたのお力で一人だけは欲しい。なんとか流産しないで育てたいのです。よい方法を教えていただけませんか」

と、勝造に相談がありました。

勝造が西医学・健康法による「懐妊法」を伝授され、李王殿下ご夫妻はそれを実行されたようです。

西医学・健康法の懐妊法は、いずれ機会をみてご紹介したいと思います。

そして間もなく、御懐妊の知らせがありました。

妊娠4ヶ月を過ぎれば流産の心配もないわけですから、そろそろ発表するかという時に宮内省嘱託の産婦人科専門の東大教授が呼ばれ診察したのですが、

「何の兆候もございません」

と、応えます。

東大教授は以前より李王殿下を診ておりましたから、妃殿下には子宮後屈があり手術しなければ妊娠しないという先入観があったようです。

ところが西式健康法の励行によってすっかり子宮後屈は治っており、またツワリもないものですからいっそう気付かなかったのかも知れません。

李王妃殿下は、

「西は妊娠4ヶ月というが、お前には判らないのか。よく試験しなさい」

と注意されたものですから東大教授はびっくりして、今一度精査いたしましょうということになり、遅れて5ヶ月目に初めてご懐妊が発表されたのでした。

無事御出産になったのは言うまでもありません。

 

その後、別のある東大教授が生育係主任となったのですが、赤ん坊がだんだん痩せ衰えはじめ、体重も減って、あと1週間もすれば死線にぶつかるという重大事になりました。

ご危篤だからということで勝造が呼ばれ、相談の結果、東大教授を一時退け、3週間に限り勝造が治療にあたることになりました。

退けられた東大教授は、

「あと1週間ももたないのに馬鹿な奴だ、あの健康法を潰すいい機会だ…」

と言ってせせら笑っていたということです。

それはともかくとして、勝造は早速、赤ちゃんの頭のてっぺんからお臍までの長さ(座高)を測ります。

座高は40センチでした。

腸の栄養吸収面積は、その自乗ですから40×40=1600㎠です。

腸の単位面積に対して人乳は2分の1グラムが適量ですから1600×½=800、つまり1日当たり人乳800グラム飲まないと順調に育たないのです。

ところが李王妃殿下の赤ちゃんは、677グラムしか飲んでいなかったのです。

妊婦や小児、若い世代の方々はmTORをオンにしてIGF-1を活性化し、身体を「成長モード」に入れておかなければなりません。

これでは次第に痩せて骨と皮になるのは当然です。

いわば消化不良の状態で800グラムの乳を飲ませるには、そのままでは到底飲みませんから、何か方法が要ります。

水と湯の温冷浴で皮膚呼吸を促し、血液循環をよくし、グローミューと毛細管を交互に働かせ、消化器系統を働かせて充分に飲むようにしなければなりません。

湯と水にそれぞれ1分間ずつ交互に入れるのですが、その温度は以下の表の通りです。

1回目から3回目までは、湯から先に入れ水で上がりますが、4回目以降は水から先に入れ、最後は水で上がります。

この温冷浴を1日に2回、朝夕に行ったところ4日目には800グラム近い乳を飲むようになり、しかも座高が3センチ増え、1週間後には座高は45センチになりました。

したがって1週間目の適量は、腸の栄養吸収面積が45²=2025㎠ですから、その2分の1の1013グラムということになります。

計画通りに行かなければ温冷浴の回数を増やします。

飲まないからといって無理に与えると、かえって胃腸障害を起こしますから徐々に適量に近づけるようにします。

こうして約束の3週間目には、骨と皮に痩せていた赤ちゃんが、隆々と肥えて座高も伸び、ダイアグラム通りの到達点に完全に達してきたので、ここで生育係の東大教授にお返しすることにしたのです。

 

健康を研究しない現代医学では、座高を測って腸の内面積を推算し、授乳の適量を決めることも、温冷浴によって食欲を引き出すことも何も知らないのです。

東大教授の治療法は、骨と皮に痩せた赤ちゃんの鳩尾(みぞおち)に氷嚢をのせ、処方箋にドイツ語で消化不良症と書き込んだだけでした。

その東大教授は、今頃、西はジタバタして、そろそろ降参してくるだろうと思っていたところへ電話が入り、いよいよ息を引きとったかと乗り込んでみると、赤ちゃんはすっかり標準体重に達しているのでビックリして、目をキョロキョロさせていたそうです。

しかし、この時面子を潰されたと思った東大教授の勝造への恨みはすさまじく、戦時中は医療団総裁の名をもって勝造を攻撃・弾圧し、西医学・健康法の封殺に躍起になるのですから、医学界とはまことに理不尽で恐ろしいものです。

 

ところで、お子様は無事に育っていかれたのですが、今度は李王殿下が師団長として大演習の際に天皇陛下の前で号令をかけねばならないというその前日、急に声が出なくなってしまわれました。

この時もまた勝造が呼ばれ、ゲルトネル療法(霧吹き毛管運動ともいいます)を指導したところ、いとも簡単に喉の充血がとれて声が出るようになったのです。

勝造が指導した療法は、まずスイマグで喉を湿布し、スイマグ溶液で十分うがいを行います。

そして椅子に腰掛けたまま両手を上にあげて1分15秒間毛管運動を行い、次の1分間は手を下げます。

更にまた両手を上にあげて1分15秒間毛管運動を行なうというように、これを11回以上繰り返し行うのです。

こうすることにより上半身の血液循環が著しく図られます。

スイマグは宮中でも使われていたようですが、ここにご紹介したエピソードは、今日の法律(薬機法)に定められたスイマグの用法ではありませんのでご承知おきください。

 

あとがき

さて、いかがだったでしょうか?

健康は、自分自身の身体に何らかの故障が出ないうちは、その有り難みは分かりません。

それはちょうど空気みたいなものです。

しかし、自分では健康だと思っていても、毎日の生活の積み重ねの中で知らず知らずのうちに健康を損ね、身体の限界を超えた結果が「病気」として現れます。

したがって医学本来の目的が人々の健康を維持させ、元気に天寿を全うするためのものであるならば、まず第一に健康の研究、人間が健康であるための条件の追究がなされなくてはなりません。

つまり、結果としての病気の研究ではなくて、「病気に罹らないための医学研究」です。

西医学は、

「健康とは心身一者たる色沢、九官が完全であって、現在意識及び潜在意識ともに健全なる全機を有することが、他人によって観測され、また自己によっても認識でき、四肢は対蹠的に均衡をそなえ、常に粗食を美味に感じる一者たる心身をいう」

と定義されています。

ここでいう一者とは完全にして調和を保っている状態、換言すれば完全なる存在(ホリスティック)を指します。

九官とは眼、耳、舌などの五感に第六感などの潜在意識を加えたものです。

全機というのは生体として認められる事象複合が、常に全体として自己同一性を示し、外界内界の状況の変化に対応して常に統一態を維持し、他から区別されることです。

 

ベストセラーとなった『脳内革命』の著者春山茂雄氏は、

「私たち医師が行っている医療で、実際に治る病気というのは全体の20%ほどでしかなく、残りの80%は医療費を湯水のように浪費しているだけといっても過言ではない状況です」と述べています。

 

Charles Sidney Burwell

医学の教科書に書いてあることの半分は、将来、間違っていることが証明される

Half of what we have taught you is Wrong. Unfortunately, we don’t know which half.

これは、医学部の最高峰と呼ばれるハーバード大学の医学部長を1935年から1949年の間務めたシドニー・バーウェル博士の卒業式での訓示です。

この言葉の真意は、「医師たるもの、医学の進歩を日々学習し、最新の適切な診療によって間違いを犯さぬよう努力せよ」ということです。

医師は病気の専門家ですが、「健康」を研究する人はごくわずかです。

わたしたちが認識すべきは、現代医学は対症療法であって、現代医学の治療によって病巣が取りのぞけたり、クスリの服用によって生活習慣病の検査項目の数値が改善したりしても、生活習慣改善に努めて、病気の要因を元から断つことが求められている、ということです。

病院に行っても「健康」のノウハウは教えてもらえません。

ですからライフスタイルの改善は、自らがやらなければならないミッションなのです。

 

弊社は微力ながら、「主人公(お客さま)が成功ストーリー」を導く、お手伝いをさせていただきたいと思っております。

西医学に限らず「真の健康医学」が、広大な地下水脈となって、人々の健康を支えるオアシスになって欲しいと願っています。

 

今後とも、弊社の啓蒙活動にご支援とご鞭撻を賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

 


References

『長命の生理』西勝造 青蛙房

『西式強健術と触手療法』西勝造 西会本部

『西勝造伝』田中宗太郎 明治大学印刷部

『「超」健康法 ―封殺されたもう一つの医学』丹後喬介 熊本出版文化会館

『脳内革命―脳から出るホルモンが生き方を変える』春山茂雄 サンマーク出版

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