社会
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人間が、人間らしく生きる環境
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人間が、人間らしく生きる環境
2022.12.09
The Legendary Speech delivered at Stanford University’s 2005 Commencement ceremony.
誠に僭越ですが、弊社では「誰かの“不”を解消し、喜んでもらって、その対価をいただくこと」を仕事の定義と定めております。
「不」とは不安、不満、不快、不健康などの「不」です。
つまり弊社の事業とは、この「不」を解消して、「主人公(お客さま)が成功ストーリー」を導くお手伝いをすることです。
そして、多くの人に喜んでもらうことこそが、弊社の仕事の本質だと理解しております。
さて、あなただけの「人生の成功ストーリー」とは何でしょうか?
もう見つかりましたか?
もしまだ見つかっていないとしたら、Apple Inc.の創業者スティーブ・ジョブズが2005年に米国スタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチが参考になるかもしれません。
もちろん、ご存じの方はたくさんいらっしゃると思いますが、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めた素晴らしいものでした。
「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。
有名なフレーズですね。
ということで、今回はあらためて、今も語り継がれる伝説のスピーチの全文を、日本語訳と英語原文でご紹介します。
まだご覧になったことがないという方は、是非ご一読ください。
Thank you. I’m honored to be with you today for your commencement from one of the finest universities in the world.
Truth be told, I never graduated from college and this is the closest I’ve ever gotten to a college graduation.
Today I want to tell you three stories from my life.
That’s it.
No big deal.
Just three stories.
The first story is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College after the first six months but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit.
So why did I drop out?
ありがとうございます。
本日は、世界最高の大学のひとつで卒業式を迎えられる皆さんとご一緒できて、とても光栄です。
実のところ、私は大学を出ていません。
ですから、これが、私にとっては大学卒業に最も近い経験ということになります。
今日、皆さんにお伝えしたいのは、私の人生に基づく3つのお話です。
それだけです。
大したことではありません。
たった3つのお話です。
最初のお話のテーマは、点と点を結ぶことです。
私はリード大学を最初の半年で中退しましたが、その後も18カ月ほどはモグリの学生として大学に居座り、それから実際に退学したのです。
だとしたら、私はなぜ中退したのでしょう?
It started before I was born.
My biological mother was a young, unwed graduate student, and she decided to put me up for adoption.
She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife, except that when I popped out, they decided at the last minute that they really wanted a girl.
So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking, “We’ve got an unexpected baby boy.
Do you want him?” They said, “Of course.”
My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school.
She refused to sign the final adoption papers.
She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college.
This was the start in my life.
始まりは私が生まれるよりも前でした。
私の生みの母は、若い未婚の大学院生だったため、私を養子に出そうと決心したのです。
彼女がこだわったのは、私の養子先は大卒者の家庭でなければ、ということでした。
それで、私が生まれたらすぐ弁護士夫婦に引き取られるよう、準備万端整えられていたのです。
ところが、いざ私が生まれたときに弁護士夫婦が土壇場で下した判断は、自分たちが本当に欲しいのは女の子だ、というものでした。
それで、養子待ちのリストに載っていた私の両親が真夜中に電話を受け、「こちらに予定外の男の赤ちゃんがいます。希望されますか」と聞かれたのです。
両親の答えは、「もちろん」でした。
生みの母は、私の母が大卒ではなく父は高校すら出ていないということを、後から知りました。
彼女は養子縁組の最終書類に署名することを拒否しました。
彼女がようやく折れたのは、数力月後、私を大学に行かせると両親が約束したときでした。
これが、私の人生の始まりだったのです。
It wasn’t all romantic.
I didn’t have a dorm room, so I slept on the floor in friends’rooms.
I returned Coke bottles for the five-cent deposits to buy food with, and I would walk the seven miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple.
I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on.
Let me give you one example.
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country.
Throughout the campus every poster, every label on every drawer was beautifully hand-calligraphed.
Because I had dropped out and didn’t have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this.
I learned about serif and sans-serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great.
It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can’t capture, and I found it fascinating.
夢のようなことばかりとはいきませんでした。
私には寮の部屋もありませんでしたから、いろいろな友人の部屋で床に寝ていました。
コカ・コーラの瓶を店に返して預け金の5セントを戻してもらい、それで食べ物を買うということもしました。
また、毎週日曜の夜には、7マイル(約11.3キロメートル)歩いて町の向こうまで行き、ハレークリシュナ寺院で週に一度のご馳走にありついたものです。
あれは大好きでした。
そして、好奇心と直感に従うことで出合ったものの多くは、後になって、掛け替えのないものだと分かりました。
一例をご紹介しましょう。
Reed College 3203 Southeast Woodstock Boulevard, Portland, Oregon 97202-8199
当時のリード大学は、おそらく国内最高といえるカリグラフィー教育を提供していました。
キャンパスの至る所に見られるポスターのどれもが、戸棚ひとつひとつに貼られたラベルのどれもが、美しいデザインの文字で手書きされていたのです。
私はすでに中退していて普通の授業を取る必要はありませんでしたから、カリグラフィーの授業に出て、そのやり方を身につけようと心に決めました。
セリフやサンセリフといった書体について学びましたし、いろいろな文字の組み合わせに応じて字間スペースを変えるやり方や、素晴らしいタイポグラフィーを素晴らしいものたらしめているのは何か、といったことについても学びました。
それは美しく、歴史があり、科学がとらえきれないような芸術的繊細さを宿したものです。
ですから、私はそれに強く惹かれました。
None of this had even a hope of any practical application in my life.
But 10 years later when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me, and we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography.
If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts, and since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them.
If I had never dropped out, I would have never dropped in on that calligraphy class and personal computers might not have the wonderful typography that they do.
それを人生で実際に役立たせたいなどとは、まったく思っていませんでした。
しかし10年後、われわれが最初のマッキントッシュ・コンピューターを設計しているときに、それが一気に私の脳裏によみがえってきたのです。
そこでわれわれは、設計段階で、そのすべてをマックに取り込みました。
マックは、美しいタイポグラフィーを備えた初めてのコンピューターになったのです。
もしも私が大学であの授業にもぐりこんでいなかったら、マックが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかったでしょう。
それに、ウィンドウズはマックをまねただけですから、パソコンがそれらを持つこともなかっただろうと思われます。
もしも私が中退していなかったら、あのカリグラフィーの授業にもぐりこむことはなかったでしょうし、パソコンが現在のような素晴らしいタイポグラフィーを備えることもなかったかもしれません。
Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college, but it was very, very clear looking back wards 10 years later.
Again, you can’t connect the dots looking forward.
You can only connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
You have to trust in something—your gut, destiny, life, karma, whatever―because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.
もちろん、私が大学生だったころは、将来を見据えながら点と点を結ぶということなどできませんでした。
しかし、10年経ってから振り返ってみると、とてもとてもはっきり見えました。
もう一度言いますが、将来を見据えながら点と点を結ぶということなど、皆さんにはできません。
できるのは、振り返りながら点と点を結ぶということだけです。
ですから、皆さんは、点と点が将来何らかの形でつながると信じるしかないのです。
皆さんは何かを信じるべきです。
自分の勇気であれ運命であれ、人生であれカルマであれ何であれ。
なぜなら、点と点が将来いつかはつながると信じることで、たとえそれが人並みの人生街道から外れることにつながろうとも、自分の心に従うことに自信が持てるようになるからです。
そして、このことがもたらす違いは大きいのです。
My second story is about love and loss.
I was lucky. I found what I loved to do early in life.
Woz and I started Apple in my parents’garage when I was 20.
We worked hard, and in 10 years, Apple had grown from just the two of us in a garage into a $ 2 billion company with over 4,000 employees.
We’d just released our finest creation, the Macintosh, a year earlier, and I’d just turned 30, and then I got fired. How can you get fired from a company you started?
Well, as Apple grew, we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so, things went well.
But then our visions of the future began to diverge, and eventually we had a falling out.
When we did, our board of directors sided with him, and so at 30, I was out, and very publicly out.
What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
ふたつ目のお話のテーマは、愛と失意です。
私は幸運でした。
人生の早い段階で、自分が何をしたいのかを知ることができたからです。
ウォズ(スティーブ・ジョブズ、ロナルド・ウェインらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたAppleの共同設立者の一人)と私が私の実家のガレージでアップルを立ち上げたのは、私が20歳の時でした。
われわれが懸命に働いた結果、10年後のアップルは、ガレージにわれわれふたりしかいなかった状態から、従業員4000人以上を抱える20億ドル企業にまで成長していました。
ところが、われわれの最高傑作であるマッキントッシュを発表してからわずか1年後、私が30歳になってから間もなく、私はクビになったのです。
どうしたら自分の立ち上げた会社をクビになるなんてことがありうるのでしょうか?
さて、アップルが大きくなってきていたため、われわれは、私が非常に有能だと思った人物を雇い入れ、私と一緒に会社経営の任にあたってもらうことにしました。
そして、最初の1年間ほどはうまくいっていたのです。
しかし、その後、彼と私の間で今後の展望に開きが生じ始め、最終的には決裂してしまいました。
そうなったとき、取締役会は彼の側についたのです。
そのため、私は30歳にして追放を、まさに公然とした追放を受けたのです。
大人になって以来ずっと人生の中心にあったものが失われたのですから、それは悲惨なものでした。
I really didn’t know what to do for a few months.
I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down, that I had dropped the baton as it was being passed to me.
I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.
I was a very public failure and I even thought about running away from the Valley.
But something slowly began to dawn on me.
I still loved what I did.
The turn of events at Apple had not changed that one bit.
I’d been rejected but I was still in love.
And so I decided to start over.
どうしたらよいのか、数力月の間、私には本当に分かりませんでした。
先行世代の起業家たちの期待を裏切ってしまったという思いや、自分にバトンが渡されようとしているときにそのバトンを落としてしまったという思いが、私にはありました。
デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、ひどく台なしにしてしまったことを謝罪しようとしたりもしました。
私は失敗者として衆目にさらされていましたから、シリコンバレーから逃げ出すことも考えました。
しかし、私にも何かが徐々に見えてきました。
私はまだ自分の仕事を愛していました。
アップルでの出来事があっても、それは少しも変わっていませんでした。
振られてしまったのに、まだ恋し続けていたのです。
それで、もう一度やり直そうと決心しました。
I didn’t see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me.
The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything.
It freed me to enter one of the most creative periods in my life.
During the next five years I started a company named NeXT, another company named Pixar and fell in love with an amazing woman who would become my wife.
Pixar went on to create the world’s first computer-animated feature film, “Toy Story,” and is now the most successful animation studio in the world.
In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT and I returned to Apple and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple’s current renaissance, and Laurene and I have a wonderful family together.
そのときには分からなかったのですが、結局のところ、アップルをクビになったことは、私のこれまでの人生で最良の出来事でした。
成功者であることの重苦しさが、もう一度駆け出し者であることの気軽さに取って代わられ、何事に対しても思い込みが薄れました。
そのおかげで私は解放され、人生で最もクリエイテイプな時期のひとつに入ることができたのです。
その後の5年の間に、NeXTという会社と、もうひとつのピクサーという会社とを立ち上げ、さらには、後に妻となる素晴らしい女性と恋に落ちたのでした。
ピクサーはやがて世界初のコンピューターアニメの長編映画『トイ・ストーリー』を制作し、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオになっています。
事態の意外な展開により、アップルがNeXTを買収したため、私はアップルに復帰しました。
NeXTでわれわれが開発した技術は、現在のアップルの復興劇において中核的な役割を担っています。
そして、ローレンと私は一緒に素晴らしい家庭を築いています。
I’m pretty sure none of this would have happened if I hadn’t been fired from Apple.
It was awful-tasting medicine but I guess the patient needed it.
Sometime life…Sometimes life’s going to hit you in the head with a brick.
Don’t lose faith.
I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.
You’ve got to find what you love, and that is as true for work as it is for your lovers.
Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work, and the only way to do great work is to love what you do.
If you haven’t found it yet, keep looking, and don’t settle.
As with all matters of the heart, you’ll know when you find it, and like any great relationship it just gets better and better as the years roll on.
So keep looking.
Don’t settle.
もしも私がアップルをクビになっていなかったら、これらのことは何ひとつ起こらなかっただろうと、私は強く信じています。
それはとても苦い薬でしたが、患者にはそれが必要だったのだと、私には思えるのです。
いつか人生には…時として人生には、レンガで頭を殴られるようなこともあります。
それでも信念は失わないでください。
私が前に進み続けてこれたのは、ひとえに自分の仕事が好きだったおかげだと、私は確信しています。
皆さんも、自分は何が好きなのかを知る必要があります。
それは恋愛においても仕事においても同じように言えることです。
仕事がこれからの皆さんの人生の大きな部分を占めるようになるでしょうが、真の満足を得るための唯一の方法は、素晴らしい仕事だと自分が信じることをやることです。
そして、素晴らしい仕事ができるための唯一の方法は、自分の仕事を愛することです。
もしもまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。
もう落ち着く、とはならないでください。
あらゆる恋愛がそうであるように、それを見つけたときには自分でも分かるものです。
そして、素晴らしい恋愛関係がいつもそうであるように、それも年を重ねるごとにどんどんよくなっていきます。
ですから、探し続けてください。
落ち着いたりしてはいけません。
My third story is about death.
When I was 17 I read a quote that went something like “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.”
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself, “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?”
And whenever the answer has been “no” for too many days in a row, I know I need to change something.
Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life, because almost everything—all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure—these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.
Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
You are already naked.
There is no reason not to follow your heart.
みつつ目のお話のテーマは、死です。
17歳のころ、「その日が人生の最後であるかのように毎日を生きれば、いつかその通りになることはほぼ間違いない」というような記述が引用されているのを読みました。
それに感銘を受けた私は、それから33年間、毎朝鏡をのぞき込んで自問してきました、「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか」と。
その答えが「ノー」の日があまり多く続く場合には、何かを変える必要があるのだと、必ず分かります。
自分はもうすぐ死ぬのだと意識しておくことは、私が人生の重大な選択をする際に役立つツールとして偶然に手にしたものの中でも、最も重要です。
なぜなら、ほとんどすべてのこと―いろいろな外部からの期待や、自分のあらゆるプライド、混乱や失敗に対するさまざまな恐れ―こういったものは、死に直面すると消えてなくなり、真に重要なことだけが残されるからです。
自分も死に向かっているのだと意識することは、自分には失うものがあるという思考の落とし穴を避けるための策として、私の知る範囲では最善です。
皆さんはすでに何も身に着けていない状態なのです。
自分の心に従わない理由はありません。
About a year ago, I was diagnosed with cancer.
I had a scan at 7:30 in the morning and it clearly showed a tumor on my pancreas.
I didn’t even know what a pancreas was.
The doctors told me this wasalmost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.
My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctors’code for “prepare to die.”
It means to try and tell your kids everything you thought you’d have the next 10 years to tell them, in just a few months.
It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family.
It means to say your goodbyes.
1年ほど前、私はがんと診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、すい臓にはっきりとした腫瘍が見られたのです。
私は、すい臓が何かも知りませんでした。
医師たちが言うには、これはほぼ間違いなく治療不能なタイプのがんであり、長くても3カ月から6カ月しか生きられないと思いなさい、ということでした。
主治医の私に対するアドバイスは、家に帰って身辺整理しなさいというものでしたが、これは「死を覚悟しなさい」ということの医者流の言い回しなのです。
つまり、今後10年かけて子どもたちに伝えようと思っていたことがあるなら、わずか数力月のうちにそれを全部伝えるように努力しなさい、ということです。
つまり、家族ができるだけ楽に対処できるように、準備万端しっかり怠りないようにしておけ、ということです。
つまり、お別れのあいさつをしろ、ということなのです。
I lived with that diagnosis all day.
Later that evening I had a biopsy where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor.
I was sedated but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope, the doctor started crying, because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery.
I had the surgery and, thankfully, I am fine now.
This was the closest I’ve been to facing death, and I hope it’s the closest I get for a few more decades.
Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept.
私はその診断結果を抱えたまま、まる1日を過ごしました。
その日の夕方遅くに生検を受けましたが、その際には内視鏡がのどから入れられ、胃を通って腸ヘと送られましたし、すい臓に針が刺されて、腫瘍の細胞がいくつか採取されました。
私は鎮静剤でもうろうとしていたのですが、立ち会っていた妻に聞いたところでは、顕微鏡で細胞を見たとき、医者が叫び出したのだそうです。
なぜなら、それは非常に珍しいタイプのすい臓がんで、手術で治せると判明したからです。
私は手術を受け、ありがたいことに、今は元気です。
これが私の人生の中で最も近くで死に直面した経験です。
願わくば、この先何十年かはこれ以上近くならないようにしたいものです。
こうした経験を乗り越えた今、死というものが有益ではあるが純粋に知的概念でしかなかったころよりも、少しだけ強い確信を持って、皆さんに次のように申し上げることができます。
No one wants to die, even people who want to go to Heaven don’t want to die to get there, and yet, death is the destination we all share.
No one has ever escaped it.
And that is as it should be, because death is very likely the single best invention of life.
It’s life’s change agent; it clears out the old to make way for the new.
Right now, the new is you.
But someday, not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away.
Sorry to be so dramatic, but it’s quite true.
Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.
Don’t be trapped by dogma, which is living with the results of other people’s thinking.
Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice, and most important, have the courage to follow your heart and intuition.
They somehow already know what you truly want to become.
Every thing else is secondary.
だれでも死にたくはありません。
たとえ天国に行きたいと思っている人でも、そこへ行くために死にたいとは思いません。
しかし、死というものは、われわれ全員共通の終着点なのです。
それから逃れた者は、これまでだれもいません。
そして、それはそうあるべきものなのです。
なぜなら、死はほぼ間違いなく、生命に関した唯一にして最高の発明だからです。
それは生命の変化の担い手です。
古いものを排除し、新しいもののために道を開きます。
今ここでは、新しいものは皆さんです。
しかし、そのうち、つまり今からそう遠くない時期に、皆さんも徐々に古いものとなり、排除されることになります。
かなり劇的でお気の毒ですが、これはまったくの真実です。
皆さんの時間は限られていますから、他人の人生を生きて時間を無駄にしてはいけません。
ドグマにとらわれないでください。
それでは、他の人たちの思考の結果に従って生きることになります。
他人の意見という雑音によって自分の内なる声がかき消されてしまわないようにしてください。
そして、最も重要なことですが、自分の心と直感に従う勇気を持ってください。
あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいのかを、どうしてだかすでに知っているのです。
他のことはすべて二の次です。
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalogue, which was one of the bibles of my generation.
It was created by a fellow named Stuart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.
This was in the late’60s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and Polaroid cameras.
It was sort of like Google in paperback form 35 years before Google came along.
It was idealistic, overflowing with neat tools and great notions.
私が若いころ、『全地球カタログ』という素晴らしい本があって、私の世代にとってはバイブルのひとつでした。
それをつくったのは、ここからそう遠くないメンローパークに住んでいたスチュアート・ブランドという人物です。
彼は、その詩的なセンスによって、紙面に命を吹き込んでいました。
それは1960年代の終盤のことですから、パソコンやデスクトップパブリッシングはまだ存在せず、タイプライターとはさみとポラロイドカメラですべてがつくられました。
それは、グーグルが登場してくる35年も前の、ペーパーバック版グーグルといった感じのものでした。
理想主義的で、かっこいいツールや素晴らしい考えに満ちあふれていました。
Stuart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalogue, and then when it had run its course, they put out a final issue.
It was the mid-1970s and I was your age.
On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous.
Beneath it were the words, “Stay hungry, stay foolish.”
It was their farewell message as they signed off.
“Stay hungry, stay foolish.”
And I have always wished that for myself, and now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
Stay hungry, stay foolish.
Thank you all, very much.
スチュアートと彼のチームは、この『全地球カタログ』を何号か出しましたが、その後、ひと通りのことをやり終えた時点で、最終号を刊行しました。
1970年代半ばのことですから、私は今の皆さんくらいの年齢でした。
最終号の裏表紙には、早朝の田舎道の写真が載っていました。
かなり冒険好きな人なら、ここでヒッチハイクしていてもおかしくないような種類の道です。
写真の下にはこんな言葉が書かれていました。
「ハングリーであり続けろ、愚か者であり続けろ」。
それが、彼らが終刊するにあたっての、お別れのメッセージでした。
「ハングリーであり続けろ、愚か者であり続けろ」。
そして、私はいつも、自分自身そうありたいと願い続けてきました。
そして今、皆さんが卒業して新たな人生に踏み出す際にも、皆さんがそうであってほしいと願います。
ハングリーであり続けてください、愚か者であり続けてください。
ご清聴ありがとうございました。
あなただけの「人生の成功ストーリー」を実現してください。