栄養

Nutrition

あなたは、あなたが食べてきたそのものです

森下学説が暴く「タンパク質必須論」の嘘

2023.11.03

科学界の悲劇

Galileo Galilei

〝 物体の落下は、その重さに支配されない 〞

ガリレオ (Galileo Galilei)がピサの斜塔で、大学教授などを集め、この有名な実験を行ったのは、1590年で、彼が25歳のときでした。

彼は2千年の間、信じられてきたアリストテレスの〝 物体はその重さに比例した速さで落下する 〞という学説が間違いであることを証明したわけです。

しかし当時の科学界は、これを認めませんでした。

一介の数学教師である青年が、アリストテレスの学説を否定するなどあり得ない、鉛の玉に仕掛けがあるのではないか、これは悪魔の手をかりたものに違いないなどと言い出し、とうとう事実として認めようとしなかったのです。

Julius Robert von Mayer

また、19世紀の大発見の一つといわれる「エネルギー保存の法則」は、〝 力学的・熱・化学・電気・光などのエネルギーは、それぞれの形態に移り変わるが、エネルギーの総和は変化しない(保存される)〞という法則です。

この法則を最初に発見したのは、ドイツの船医ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー(Julius Robert von Mayer)です。

マイヤーはこれを『無機的自然の力について』という論文にまとめましたが、当時の学会が無理解のため論文は掲載拒否されました。

物理学者から見れば、マイヤーは素人であったことも拒否理由の一つだったでしょう。

彼はそれにもめげず5年後の1845年に、2回目の論文を自費出版しました。

しかしこの新学説は、学界から少しも顧みられることがなく無視されたのです。

そうこうしているうちに、英国の物理学者ジェームズ・プレスコット・ジュール(James Prescott Joule)が、またドイツの生理学者ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz)が1847年に同様の法則を同時に発表。

そしてマイヤーを差し置いて、この2人が「エネルギー保存の法則」発見者として学界から承認されてしまったのです。

発見の優先権を奪われたマイヤーは、憤懣(ふんまん)やる方なくついに精神に異常をきたし、1852年に精神病院に入院させられました。

彼のいたましい晩年は、科学の犠牲者として科学史に永く記録され今日に及んでいます。

その後、英国の物理学者ジョン・ティンダル(John Tyndall)がマイヤーを高く評価し、現在の物理学では彼の先取権は認められ、彼の霊は慰められました。

さらに、「血液循環」を発見した英国の医師ウイリアム・ハーヴェイ(William Harvey)や、「メンデルの法則」を発見したグレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)なども不幸な学者の一人です。

Gregor Johann Mendel

このように、科学的根拠や特段の理由もなく、時代の常識や既得権益を守りたい凡庸な人々の反対によって黙殺、無視されてきた学説は多く存在します。

日本の医学界でもそうした例は多くありますが、現代の生物学の常識を覆す「千島・森下学説」もそれにあたります。

本稿では国際自然医学会会長で医学博士の森下敬一先生が警鐘を鳴らす「肉食」について、その独自の科学的根拠を森下氏の著書から一部を抜粋してご紹介します。

森下敬一氏は戦後、GHQが推進する「日本人肉食化」の計画に、真っ向から反対しています。

日本民族の伝統食を守るため、「自然食普及キャンペーン」で全国を回り講演活動を行なっていたのです。

この時、怪しい人物につけ狙われていて、ある日の晩、暗がりからふいに声をかけられました。

幸いにも警察の高官職にあった叔父の配慮で、人知れず警護されており、窮地を逃れた経験があるそうです。

 

「タンパク質必須論」の罠

 

私たちは今、医学・ 栄養学の大きな間違いの惨禍の中で生存しています。

その大きな間違いをズバリ指摘すれば、それは、「蛋白質必須論(蛋白質は必ず必要である)」という考え方です。

あるいは「蛋白質万能論」と言っても良い。

蛋白がすべてである―という考え方ですが、これはとても大きな罠なんです。

現在、誰も抜け出すことが出来ないでいます。

現代西洋医学・ 栄養学がずっとはまってしまっていてそこから抜け出すことが出来ないでいる現状を、自然医学を学んでいる私たちはしっかり把握していないといけません。

皆、それに騙され、その罠の中でもがいている、という状況です。

Carl von Voit

具体的に言えば、例えばよく使われる言葉の中で、「良質蛋白」 というものがあります。

その蛋白質の質が良いとか悪いとか、動物性の肉類の蛋白は質が良いけれども植物性のものはおおむねちょっと質が落ちる、というようなことが言われています。

しかし、それが本当かどうかを、私たちは自然医学の目でしっかりと見極めることが出来なければいけません。

 

それからもう一つは「高蛋白」と言われているモノです。

蛋白質が量的に多く含まれる食べ物を指して高蛋白と言っているのです。

それから時々使われる言葉に「プロテインスコア(=タンパク係数)」と言われるモノがあります。

その食べ物は身体の中でどれだけ蛋白質を造ってくれるのか―と、栄養分析値を土台にしてその係数を表すものです。

他にもよく使われる言葉に「蛋白源」などもありますが、そんなものは存在しません。

全くの嘘ばかりです。

これらは新聞や週刊誌、あるいはテレビなどで朝から晩まで出てこない日はありません。

我々は罠にはまってしまっている。

この罠をこれから暴いていくのが、私ども森下自然医学の重要な役目です。

 

これは結局、「元素不変の法則」、つまり、元素というのは身体の中で変わらないんだ、という考え方を土台にしたモノで、現代科学の原則ですね。

元素は変わらない―という考え方が本当ならば、この考え方は成立する。

しかし実際には、元素は変わるのです。

私たちの身体、生命体自体は原子炉と同じです。

だから身体の中で元素はどんどん転換し変化していく。

そのことを大きく見落としているために「蛋白質必須論」というモノが成立するのです。

つまり、「元素不変の法則」を土台にして良質蛋白、高蛋白などの概念や言葉が存在している、と言えます。

これから一つずつこの蛋白質論の化けの皮を剥がしていきます。

少なくとも3つぐらい大きな問題点があります。

 

デ・ニトリフィケーション=窒素雲隠れ現象

 

最初に取り上げるのは、「デ・ニトリフィケーション(denitrification)」。

すなわち、窒素雲隠れ現象についてです。

これは、20世紀の初めごろにフランスのある科学者が指摘しだした言葉です。

それからもう120年くらい経っています。

これは、窒素というのが、身体の中のどこに行ってしまったのか訳が分からなくなる現象のことを言います。

どういう意味かというと、蛋白質というのは窒素を含んだ存在ですが、その窒素に放射能をラベルして調べてみても身体の中で消えてなくなってしまう。

少なくとも排泄物の中に出て来ないのです。

 

つまり、肉をたくさん食べて窒素の塊を沢山身体の中に摂り込んでも、その窒素が身体の中で行方不明になってしまう。

この現象を120年前に発見した学者が「デ・ニトリフィケーション」と名付けましたが未だに解決されていません。

誰もその後問題にしていないわけです。

私たちが1951~52年頃にこの研究を大学研究室でやりました。

私は1950~70年の20年間、大学の研究室の中で寝泊りをして自炊しながら研究を続けていたのですが、その初期の頃の研究です。

 

当時、保健所はよく「野犬狩り」をやっていました。

1950年頃は10~20頭ぐらいの犬同士が寄り集まって行動していましたから―。

当時の新宿は、大きなガレキなどが散乱していましたが、それを動かせるような機器が存在していないため、まだゴロゴロ残っていました。

建物が何もなくなっていましたから、新宿の街に立つと東方に地平線が見えたんです。 

そして、新宿駅のちょっと高い所にあった8番線ホームからは、富士山がよく見えていました。

特に秋口は冠雪した富士山が見え、その白富士の姿から私はいつも元氣をもらいました。

 

〝野犬狩り〞は針金の投げ縄を野犬の首に引っかけて捕まえ、保健所に連れてきて一晩置いてから翌日薬殺をする、ということが行われていて、夕方保健所に行くと何十頭という野犬がワンサカいたわけです。

それでその中であまり狂暴化していない、まだ人になついてくるような犬だけを選び、貰ってきて実験をやっていました。

当時、食糧難で人間も食べるものもない中、犬に動物性の蛋白質を食べさせるわけですから、こんな実験は滅多に出来るモノではありませんでした。

食べさせて排泄物を集め、窒素がどの程度出て来るかを調べました。

 

肉をたくさん与えると排泄物の中に窒素は出て来なくなります。

肉を止めてお粥や私たちが食べていた雑穀の穀物だけをあげていると排泄物の中にどんどん窒素が出て来る―という次第でした。

そして、窒素の蛋白と炭水化物の間には可逆的な関係があるらしい、ということが直ぐ判りました。

「身体の中で肉の窒素は炭素に変わっているのか?」

「そして、炭素は逆に蛋白に変わるのでは?」という感じをもったわけです。

 

この実験をやりながらハタと思いついたのは、象や牛が大きな身体をしているのは、彼らが食べている雑草、野草、木の葉、そういうモノは炭素そのもの。

この炭素が腸内微生物の作用で窒素に変わるから、あの巨大な肉体を造り上げることに成功しているのであろう、と思ったわけです。

一方、肉を食べさせると体内で窒素がなくなってしまうというのは、炭素に変わるからだ―と実験を1~2年やっていくうちにそういう考えを持ちました。

〝 窒素と炭素は、体内で相互に移行しあっている。

だから肉(蛋白質)を食べることにこだわることはおかしい 〞と考えました。           

1950年頃、私たちは既にこのように読み取っていたのでした。

 

仏科学者ケルブラン氏の「生体内元素転換理論」

 

この問題に関連してもう一つ話しておかなければならないのは、ケルブラン(Corentin Louis Kervran)の「生体内元素転換理論」です。

※ルイ・ケルヴラン(Corentin Louis Kervran, 1901年 – 1983年2月2日[1])は、フランスの科学者。生体内における酵素やバクテリアの作用によって、一つの元素が別の元素に転換するという生物学的元素転換(Biological Transmutations)という理論を提唱したことで知られる。1983年2月2日にパリで逝去。死後10年たった1993年に、イグノーベル賞を受賞。

ケルブランという方は桜沢如一先生と深い関係があります。

ケルブラン氏は桜沢師匠を「先生」と呼んでいました。

1966年、このケルブランの元素転換に関する初版本が出来上がったときに、桜沢先生はパリから日本に「日本CIの幹部連中を全部集めなさい」と電報を打ってこられました。

先生はその当時、半年から1年近くパリに居られたのですが急遽日本に帰って来られて、日本に滞在しておられるときにご使用の恵比寿にある日本式旅館「光雲閣」に我々14人~15人を集められたのです。

Corentin Louis Kervran

そのときに先生は1冊の本を持って来られました。

ケルブランの初版本でヨーロッパでもまだ誰も知らない本でした。

その本をめくったところにフランス語で「我が恩師桜沢如一先生にこの本を捧げる」 というようなことが書かれていました。

まだ本屋に本が並んでない時期に、桜沢先生はその初版本を引っ提げてパリから日本に帰られた。

そして主だった弟子どもに本の内容を解説されたわけです。

この「元素転換理論」を世界中で私たちが真っ先に知ったんです。

そのときは、本当に興奮しましたね。

そんなことがあるのかと。

これで世界は完全にひっくり返ってしまうだろうと考えたほどです。

(中略)

 

この本の中には、アフリカのサハラ沙漠で石油採掘に絡んで筋肉労働をしているフランス人労働者たちに、フランスから食品分析を100%完璧に行った食べ物をサハラ砂漠に送り、そしてサハラ砂漠から彼らの排泄物を完全にまとめてフランスに送る、ということを行って調べたデータもちゃんと含まれていました。

ここでも同じ現象が起こっていたのです。

動物性蛋白質を意図的に大量に与えた場合には、排泄物の中に窒素が出て来ない。

それから反対に肉類を抜いて、炭水化物中心の食事をすると、排泄物の中にどんどん窒素が出てくる。

そして、私の実験―そこからの推論と同じように窒素と炭素との間には相互関係があって、体内で窒素が炭素に変わり、あるいは炭素が窒素に変わったりする。

従って「デ・ニトリフィケーション」のような現象が起こるのであろう、というようなことも書いてありました。

 

身体の中では何が起こっているのか

 

ケルブランの「生体内元素転換理論」は桜沢先生を介して真っ先に知ることが出来ました。

それ以前から肉食時の窒素が身体の中でおかしな動きをする、ということへの宣明でもありました。

しかし、こんな肝腎なことを現代西洋医学は未だに誰も問題にしていないし、指摘もしていない。

これだけの問題があるにもかかわらず肉食を勧めるということは非常に無神経だと思います。

 

結局、どのように考えるべきか、という結論的な話をしますが、私たちの身体の中では炭素が窒素になる。

つまり、私たちが食べた炭水化物が蛋白に変わるのです。

現在、「炭水化物は食べなくてもいい」 なんて言っている医者もいますが、それはこういうことが判っていないからの話でしょう。

炭水化物を入れなくては蛋白質は出来ないのです。 

 

では、蛋白を食べた場合にはどうなるのか。

蛋白は身体の中で炭水化物に逆戻りするんです。

従って蛋白源なんて言葉はカスみたいな話で、蛋白質が炭水化物・ 炭素に変わって、ここで初めて自分の身体のための蛋白が造り出される。

体蛋白というのは全て自家製なんです。

他の動物の蛋白を持って来て、自分の身体の蛋白を造るなんてことが出来るわけがない。

自分の身体のための蛋白はすべて自分で造っている。

だから肉を食べた場合には、つまり他者蛋白ですから必ず一旦炭水化物に戻して、そして自分の身体のための自家製蛋白を造ります。

ここでもう一つ考えておかないといけないのは、蛋白が炭水化物に変わって、炭水化物から自分の身体の蛋白に変わるのであれば、他者蛋白を食べても、炭水化物を食べても結局は同じではないかという議論が出てきます。

しかしこれは違います。

生き物は新陳代謝を行っています。

新陳代謝とは何かと言ったらこれは山と谷です。

この上り坂の山では、ビタミン、ミネラルが酵素に変わっていく。

ビタミンやミネラルが、私たちの健康のために直接役立っていると誤解をしている向きも無いわけではありませんが、これらはそのままでは何の役にも立ちません。

 

私たちの体蛋白と結びついて初めて、〝ビタミン蛋白〞という形の酵素、あるいは〝ミネラル蛋白〞という形の酵素になり、「酵素」として初めて役に立つのです。

ビタミンCを使ったガン治療というのは、ビタミンを何万単位もドカンと注射をしたら良くなると言っていますが、あれは錯覚。

ビタミンCそのものは確かに人間の身体の酸化作用を抑えていく、という作用もありますが、大量に何万単位のビタミンCを入れても、身体の中にそれと結びつく蛋白が無ければビタミンCは全く意味を成しません。

それに見合うだけの蛋白が準備されているかという問題があります。

もし、この本物のビタミンCではなく合成のビタミンCなどの偽物であれば、すべてロスになります。

大量の偽物のビタミンCを入れて身体の蛋白と結びつき、すべては…オシャカ。

ビタミンC欠乏症を起こすことになります。

 

最近こういう現象がたくさんあります。

流行の栄養ドリンクなどは、その中のビタミンやミネラル類がほとんど偽物だから、身体に入れても何の役にも立ちません。

逆に人工ビタミンCをたっぷり与えたがためのビタミンC欠乏症というのが起こってしまうのです。

新陳代謝は「上りの山」と「下りの谷」と両方があって、上りは天然のビタミン・ミネラルを使って大最に酵素を製造して人間の身体の成長や活動にプラスになるのだとすると、下りの谷では老廃物がたくさん出てくる。

 

そして、肉を食べるというのは、この上りと下りの全体を摂っているということなんです。

本当は、その動物自身の体内でやらなければならない仕事を、食べた人間が代わりに老廃物の処理を引き受けてやっていくことなんです。

この老廃物を処理するため、食べた人間は酵素をどんどん消費されて短命化する。

肉を身体に入れなければ(食べなければ) 何も問題が無いものを、半分老廃物の肉を食べることによって、自分の身体の中の大事な酵素が大量に費されてしまうがために寿命が縮まってしまうんです。

肉食の人種が身体は大きくなっても寿命が短くなるのはそういう理由がある、とお考えいただければ、と思います。

 

オートファジーは、細胞の「自食」という現象で、細胞が持っている、細胞内のタンパク質を分解するための仕組みの1つです。

2016年、これを理論的に証明した功績により、大隈良典博士はノーベル生理学・医学書を受賞しました。

ところがこのオートファジー現象は、半世紀以上も前に森下博士らが、発見、観察、実証しているのです。

NT; (c) Lodge Park and Sherborne Estate; Supplied by The Public Catalogue Foundation

〝 新しい意見はいつも胡散臭く思われ大抵大反対される。

それらがまだ一般的ではないという以外、特に理由もなく 〞

ジョン・ロック(John Locke FRS

イギリスの哲学者。哲学者としては、イギリス経験論の父と呼ばれ、主著『人間悟性論』(『人間知性論』)において経験論的認識論を体系化した。また、「自由主義の父」とも呼ばれ、エドマンド・バーク(保守主義の父)やモンテスキュー(政治哲学者)、アダム・スミス(経済学者)、カント(哲学者)、ショーペンハウエル(哲学者)、ロールズ(政治学者)、内村鑑三(思想家)など名だたる偉人たちに影響を与えた政治哲学者としての側面も非常に有名である。今日では、あらゆる学問の基礎をつくった「知の巨人」とまで呼ばれる。

名著『統治二論(統治論二篇)』などにおける彼の政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、その中で示された「社会契約」や「抵抗権」についての考えはアメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。フランス革命、アメリカ独立革命は、『統治二論(統治論二篇)』をきっかけに引き起こされたといわれ、この本がなければ歴史は大きく変わっていただろうといわれる第一級書物である。

 


 

Reference

森下敬一『最強の自然医学健康法―こうすれば病気は治る』共栄書房

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