健康
Health care
いのちまで人まかせにしないために
Health care
いのちまで人まかせにしないために
2023.06.09
NYの街には、1回も出たことがありません….
こう語るのは、MLBで二刀流への挑戦をつづける大谷翔平選手です。
この他にも、
・飲み会の誘いは、基本断っていたり…
・趣味は睡眠。休日は、自宅で寝つづけたり…
などなど、二刀流という異次元の挑戦のために、徹底した「無駄の排除」をしているとも見えますが、彼は「自由」を大切にしているとも言えます。
Shohei Ohtani
筆者は人生において、命の次に尊いものは「自由」だと思っています。
何かに規制され、束縛され、拘束されていては、到底充足感は得られませんし、ストレスや苦痛になります。
その「何か」から常に自由でいられることは、何ものにも代え難い価値があります。
そして、人生で常に自由を手にしていられる最大の要因が、「健康」です。
ということは、人生で健康に代わる至高の価値を持つものは、他にはないと筆者は考えるわけです!
ちなみに筆者の家族に、(仕事の関係で)大谷翔平くんと長い時間、親密に接した経験がある者がいます。
何の仕事かはNDA(守秘義務)の関係上、お話しできないのですが…。
仕事の関係上、翔平くんに色々と細かく指示をしなければいけなかったそうです。
彼の取り巻きは、なかなか厳しく制限するそうですが、翔平くん本人は全ての申し入れに快く応えてくれたそうです。
メディアで報道されている通りの“ Nice guy ”ですね!
筆者の身内も「彼の人間性は本物だ」と言っていました。
そして、健康にもかなりの配慮をしているそうで、外食は極力避けて、肉類もあまり摂らないとか…。
健康がなければ、彼の今の活躍もないわけですね。
しかし多くの人が、それに気がつきません。
「生きる自由」のありがたさに、気づくのはいつなのでしょうか?
問題は、気づいた時点で、その健康状態は「まだ取り返しがつくのかどうか?」ということです。
スティーブ・ジョブズは、このときの後悔を他の人が経験することがないように、助言を遺していますよね⁉︎
失った物は、また見つかります。
しかし、失ってからまた見つけることができないのは命です。
人が手術室に向かうとき、読み終えることのなかった本があることに気づきます。
『健康的な人生』の本です。
あなたが人生のどの時点にいたとしても、人生の幕が下りる日を迎えることになります。
家族への愛を、夫や妻への愛を、友人への愛を大切にしてください。
身体に気をつけて、思いやりを持ってください … 。
知的生活者の第一条件は、この知識があって、実行しているかどうかである、ということです。
スティーブ・ジョブズ Steve Jobs(Apple Inc.創業者)
では、「生きる自由を生涯手にしていられる人」は、どれ位いると思いますか?
直接の死因となる病もなく、老いによる身体機能の低下で死を迎えることを「自然死(老衰死)」と言います。
わたしたちは、息を引きとるその瞬間まで健康で、午睡のように永遠の眠りにつくことを「平和な最期」と呼び、理想的な死に方だと考えています。
中国のホロビオーム※の研究者リピン・チャオの言葉を借りれば、
〝 正しく食べ、健康体型を保つ。
長く生き、コロリと死ぬ 〞
となるでしょうか…。
実は、この平和な最期を迎えられるのは、ほんのわずかな人だけなのです。
※ホロビオーム:微生物に焦点を当てたマイクロバイオームだけでなく、宿主・微生物を一つの共同体として扱う統合的な研究解析
平和な最期を迎える確率は、男性は75歳が7・1%、90歳が13・9%で、女性は75歳が15・6%、90歳が23・9%で、その他のほとんどの人は病気との闘いの末、病院で死を迎える「病院死」なのです。[1]
2020年の『人口動態統計』が示す数字は、実に日本人の71・3%が病院で息を引きとっているということを表しています。
そして、これは多くの人が死の間際まで治療を受けながら、苦痛とともに亡くなっていることをも意味します。
最期の瞬間まで延命治療がつづけられる現代では、多くの人が人工呼吸器や透析器につながれ、「無理やり生かされた状態」を経て命を終えるのです。
「病院は死の教会」と呼ばれる所以です。
あなたは、どんな死に方を望みますか?
Friedrich Wilhelm Nietzsche
この課題に向き合い、病気と闘いつづけたのがフリードリヒ・ニーチェです。
彼は、自分の哲学を完成させることに集中し、知的な活動に障害が起きることのないように、規則正しい生活を築いていたといいます。
今から500年程前、〝 生きる自由を生涯手にしていられるノウハウ 〞を教えてくれる人物が、イタリア・ベニスに暮らしていました。
ニーチェは、この人物のライフスタイルを学び、彼の「極少食」の食習慣を讃えています。
先ほど、イタリアと言いましたが、実は1400年代には、まだイタリアという国は存在していませんでした。
イタリア王国(Regno d’Italia)は、現在のイタリア共和国の前身となる王国です。
イタリア統一運動の流れの中で1861年に成立し、1946年に共和制へ移行しました。
この時代は「ヴェネツィア共和国」ですね。
後に映画『ベニスに死す』(ルキノ・ヴィスコンティ監督・原作はトーマス・マンの同名小説)の舞台ともなったヴェネツィア(ベニス)は当時、独立した都市国家で、驚くほど繁栄していました。
絹織物、綿、ヴェネツィアングラスなどあらゆるものが生産され、ヴェネツィア商人は異国情緒あふれる品々をヨーロッパに流通していました。
莫大な富と巨大な船団を有するヴェネツィアは、間違いなくヨーロッパの権力の中枢の一つだったのです。
美しい運河が縦横に張り巡らされ、ゴンドラ乗りのカンツォーネが響き渡るこの地に、ルイジ・コルナロ(Luigi Cornaro)という名の貴族が暮らしていました。
彼は領地からのささやかな収入で暮らしていましたが、やがて湿地の排水方法を発明し、財を成しました。
水の都ヴェネツィアでは、排水業はさぞかし繁盛したのでしょう。
彼はパドヴァの行政長官などもつとめ、その財を頼りに、贅沢三昧の食生活を送っていました。
暴飲暴食に明け暮れ、30代でさまざまな病をわずらい、40代になる頃には退廃的な生活がたたって、体のあちこちに不調を感じるようになります。
太りすぎなため、動作は緩慢で、老人になったような気分でした。
そしてついには生死の淵をさまようことになります。
進取の気性に富む彼は、問題を自力で解決することを思い立ち、健康的なライフスタイルを熱心に探求し始めます。
コルナロは数人の医師に相談した後、厳格なルールに従う食事療法を考案したのです。
これは、1日に食べる量を350グラムに制限するというものです。
内訳は卵、肉、スープ、少々のパン、そしてイタリア人なら当然の少々のワイン。
ただし、1日あたりボトル半分(400cc)ほどまで。
食事制限はコルナロの健康に多大な効果をもたらしました。
1550年に83歳になった彼は、自らの変化に驚き、この食事療法を広く伝えるために本を書きます。
その本には『真面目な生活に関する論説』というふさわしいタイトルがつけられています。
本はベストセラーとなり、たちまちヨーロッパの他の言語に翻訳されます。
コルナロはその後も食事療法を守りましたが、他にも実験的な試みをつづけ、同様のテーマの本を数冊書きます。
第二の『論説』は86歳、第三は91歳、第四は95歳でした。
コルナロはまた83歳の時にコメディを書いて、「たいていの人は何かを書けるとしても、この歳では悲劇を書くものだ」と言っています。
晩年には、毎食、卵黄1個だけという食生活をつづけます。
すると、驚異的というほどではないとしても、かつてないほど良い効果が得られたのです。
この長年にわたる暮らしは、あるきわめて実際的な恩恵があったのでしょう。
彼はこのようなことを言っています。
立派な才能を与えられる男は生涯にわたってきわめて高く重んじられる。
…洗練され、才能ある人は…もし彼がすでに枢機卿なら、八十歳を超える時、彼はいっそう法王になる可能性が高まるだろう。
もし彼が役人なら、国家の高官と呼ばれるようになる可能性はどんなにか増大する。
もし文学者なら彼は地上の神として尊敬されるだろう。
さまざまな職業について、同様のことはすべてにあてはまる。
こうしてルイジ・コルナロは、病気とは無縁のうちに、公私にわたって人生を謳歌しつつ年齢を重ね、ある日ようやく最期と悟ったとき、日ごろ口にしていたとおり、いつもの午睡と変わらないようすで、おだやかに息を引きとったということです。
享年は98歳とも102歳ともいわれています。
これは当時の平均年齢に照らせば驚くべき年齢で、コルナロは2人分の人生を生きたことになります。
ルイジ・コルナロは、「極小食の生活習慣」の実践で、欧米では歴史的にもっとも有名な長寿者として知られることになったわけです。
その知名度は、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロをもしのぎ、とくにその著書『LA VITA SOBRIA』が国内外で大きな反響をよび、全ヨーロッパでもっとも有名なイタリア人の一人でした。
前述の通り、コルナロの極少食は、後にニーチェやフランシス・ベーコンらによって讃えられることになります。
そしてコルナロは、このように言っています。
わたしはこれまで、老年というものが、これほど素晴らしいものとは知らなかった。
ああ、素晴らしいわが人生よ!人間が享受できるそのすべてが満たされているとは。
もはやいかなる肉体的な欲求もわたしを悩ますということはなく、心は平和で一点の不安もない。
これらはすべて、わたしが食事に気をつけてきたその努力の報いとして、神様がさずけて下さったものである。
またコルナロは、極少食の恩恵は身体に限らず、憂鬱や憎しみなどのネガティブな感情まで抑制し、爽快な精神状態にまで及ぶ、と述べています。
このように、肉体的にも精神的にも、私が長年爽快な生活を送ってこれたのは、おもに先に述べた食事上の抑制によるものであるが、このほかにもいくつか気をつけてきたことがある。
たとえば、働きすぎ、異常な暑さ寒さ、悪い空気のところに長時間いることなど、極端なことは避けてきた。
また、憂鬱、憎しみ、その他の否定的な感情をいだかないよう注意することにも努力してきた。
なぜなら、否定的な感情というものは、心身にきわめて由々しい影響をあたえるからである。
そして、この極少食の食習慣を、次のように結論づけています。
まさにこの節食の習慣こそ、たとえ虚弱な体質のものの場合でも、健康と快活な毎日を100歳あるいはそれ以上に至るまで約束し、しかも病死ではなく、自然死による天寿をもたらすものなのである。
人は自分以上のよい医者を持つことはできない
Luigi Cornaro
ルイジ・コルナロの死からおよそ4世紀後に、アメリカの研究者が、このヴェネツィア貴族と同じ道を歩み始めます。
クライヴ・マッケイはニューヨーク州コーネル大学の教授で栄養学の専門家でした。
1930年代当時、新発明であるビタミン剤で子どもたちの成長を早めることが推奨されていましたが、彼はその流行を懸念しました。
なぜなら彼は、長く健康な人生を生きるには、ゆっくり成長したほうがよいと確信していたからです。
彼は、そのアイデアを16世紀のイギリスの科学哲学者フランシス・ベーコンから得たといいます。
ベーコンは自著の一つにマッケイと同じことを綴っています。
長生きしたければ、早く成長しようとせず、できるだけゆっくり成長することだ。
そして、できれば小柄な大人になった方がよい。
マッケイは、マウスを使った「カロリー制限食」の実験を行います。
実験開始から1200日後、106匹のうち、生き残ったのは13匹だけ。
それらはすべてカロリー制限をしたラットで、史上最高齢の実験用ラットという奇妙な栄誉に浴しています。
しかし、それから数十年後の1980年代にリチャード・ヴァインドルッヒとロイ・ウォルフォードという科学者が、成長の抑制は不要であることを発見しました。
齧歯類(ネズミ・リス・ヤマアラシなどを代表とする動物群)は、通常の大きさまで成長させてからカロリー制限をしても寿命が伸びるのです。
カロリー制限が人間にどれほど役立つのかははっきりしていませんが、その後の研究で、「絶食」がカロリー制限に似た効果をもたらし、齧歯類の寿命を延ばすのはほぼ確実だと考えられています。
つまり、絶食は一種の「ホルミシス(ストレスが生物を強くする)」で、ストレス要因となってわたしたちの体を強くするということです。
つまりカロリー制限と同様に、「成長を促進するmTORを阻害」することで、細胞のゴミ収集システムである「オートファジー」を活性化するのです。
わたしたちが日々自然に行なっている「食べる」ということは、体内に直接はたらきかけ、体の細胞一つひとつにまで化学的変化を引き起こす行為です。
食を節することで、オートファジーやケトーシスが活性化し、細胞は蘇り、腸内の腐敗も抑制されるというわけです。
これがルイジ・コルナロが「極少食」で、人の2倍の人生を送ることを可能にしたメカニズムです。
この場合、食を節するとは、「本物の食べ物」を中心に、「食べる量をできるだけ少なくして、最小限の栄養だけ」にとどめ、消化に関わる臓器のエネルギーや酵素などの浪費をさけ、化学合成物質などの食害や老廃物の発生を極力抑え、その結果として、人類がかつて野生のときにそうであったように、体内環境を自然由来の状態に保つ、あるいは戻す、ことをいいます。
ところが、あなたがテレビなどのメディアで耳にする情報は、この真逆ですよね⁉︎
つまり「朝食を摂らないと太るから、毎日しっかりと食べましょう!」
違いますか?
よく耳にしますよね ⁉︎
医師や栄養士などの「専門家」が、もっともらしく話していますよね。
この類の専門家が根拠としているのが、次のオーストラリアとアメリカで行われた研究です。
オーストラリアの109の小中学校で行われた大規模な研究では、理論とは真逆の結果が報告されています。[2]
この調査の約20年後、子どものときの調査でも、大人になってからの調査でも朝食を摂っていた人たちと、その逆の人たちを比較した場合、後者の方が太っていたという歴然とした結果だったことが報告されています。
また、アメリカでも同様の調査が行われ、「朝食を摂らないと太る」と報告されています。[3]
確かに、「朝食を摂らないと太る」という研究報告(論文)は存在するのです。
しかしでは、何故(科学に反して)、朝食を摂らないと太るのでしょうか?
その理由は、まだはっきりとはしていませんが、さまざまな説明が試みられています。
どうやらそれは生体のメカニズムなどではなく、生活習慣にあるようです。
可能性が高いのは、
① 朝食を摂らない人は運動不足の傾向にあることや、その反動か昼食をドカ食いしてしまうこと。
② 野菜や果物の摂取量が少ないなど、全体として「肥満を招きやすい怠惰な生活習慣」になっていることです。
ということで、これらのエビデンスは生理学的メカニズムとしては「弱い」と言わざるを得ません。
弱いと言いますか、根拠にならないと思うのですが…。
わたしたちのように、生涯の健康維持を目的に「計画的な小食・節食を生活習慣にしている人」には当てはまらない、ということです。
「朝食を摂らないと太る、頭が回らないから、絶対に食べるべき」という説は、生理学的に見て間違っています。
健康上の啓蒙的なものではないし、明らかに業界主導の「商業主義的」な宣伝で、研究論文を都合よく使っているとしか考えられません。
1977年の『マクガバン・レポート』(米上院栄養問題特別委員会報告)は、米政府の公式見解として、それまで理想的な食事と考えられてきた「動物性蛋白質中心の高カロリー食が誤りである」としました。
そして日本の伝統食が理想だとしています。
しかし食品業界や農業団体、医療業界(薬品業界)の反発から、マスコミもスポンサーに配慮して沈黙。
その後、コーネル大学のT・コリン・キャンベル博士が指揮をとった、英米中3カ国共同の史上最大級の疫学調査プロジェクト『チャイナ・スタディ』もまた同じ運命をたどっています。
ちなみにこのプロジェクトの研究資金提供者は、アメリカ政府(国立がん研究所)です。
政府よりも、業界団体の方が圧倒的な力を持っているということです。
メディアには「報道しない自由」が認められていますから、テレビを通じて国民が本当のことを知ることはできません。
ですから筆者は、テレビも新聞もほとんど見ませんし、読みません。
インターネットで「スポンサー無し」の「有料」ニュースサイトなどを視聴しています。
本当のことを「知ること」、とても大切ですよね!
これも生涯、生きる自由を手にしていられる大きな要因です。
自己充足の最大の果実は自由である
エピクロス(Epikouros)快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。
『教説と手紙(Epistolae, Fragmenta)』(出 隆 岩崎允胤 翻訳 岩波書店)より
References
1 .『簡易生命表』(2018年)厚生労働省
2. Smith KJ, et al. Slipping breakfast: Iongitudinal associations with cardiometabolic risl factors in the Childhood Determinants of Adult Health Study. Am J Clin Nutr 2010; 92: 1316-25.
3 .Kral TV., et al. Effects of eating breakfast compared with skipping breakfast on ratings of appetite and intake at subsequent meals in 8- to 10-y-old children. Am J Clin Nutr 2011; 93: 284-91.